あずき最中

虐殺器官のあずき最中のネタバレレビュー・内容・結末

虐殺器官(2015年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

原作既読、小説の世界観を忠実に再現してくれた、という感じで、過不足がなく、満足度は高かった。

しかし、物足りなさとしては(これはそもそも原作の問題として)、具体的にどのようにして言語(虐殺の文法)を用いて、虐殺器官(脳、言語や思考、行動を司る部分)を作動させるのかという行程があいまい。虐殺器官が何なのかを知っていると、映画としての驚きは半減してしまうな、と思う。

ジョン・ポールはテロによって家族を失い、虐殺の言語の研究に着手、テロを起こすような貧しい国々の人々同士で殺し合うように仕向け、祖国や幸せに暮らす人々が安全に生きられる世界を実現しようと試みていた。
だが、ジョン・ポール自身も、ルツィアと不倫をしていた(そのために妻子の守れなかった)という罪があり、ルツィアも贖罪の意識から逃れられないでいる。例え、テロがあろうとなかろうと、人命には関わらずとも、出自に関係なく、人は人を傷つける可能性を持ってしまっている。その点でやっぱりジョン・ポールの望む世界を実現したところで悲劇がゼロにはなることはないと思ってしまった。

クラヴィスたちは、人を殺しても、自らが傷ついてもフラット(精神を乱さない)状態を崩さない、という特殊な訓練を受けているが、そのためにある者は自らの危機を察知できないという場面もあった。結局は痛みをもって自他を知らなければ生き延びることはできないと示されているような気がした。

また、「人の意識は、言語なんかに規定されたりなんかしない」というセリフがある。
原則としては言語によるコミュニケーションでしか、他人に自分の意思を示すことができないうちは、言語に行動を左右されるだろうし、声高に叫ばれる言葉に人類はよい意味でも悪い意味でも熱狂してきたのだから、言語に規定されない、というのは嘘だ。
しかし、クラヴィスは、それを分かりながらも、自分の意思を貫く勇気があり、例え妄言だと言われようとも、ルツィアの放った言葉を受け止め、その遺志を継ごうとする。その心意気は称賛に値すると思う。

全体的に、あっさりと、多くの死が描かれるのはどうなのかな...とは思ったが、クールな頭の切れる男性が多く登場するので、それぞれの会話が興味深く、面白かった。
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