マグロ

独身者の機械のマグロのレビュー・感想・評価

独身者の機械(1998年製作の映画)
3.6
貫通する通過儀礼。

1996年制作、アップリンク配給、イメージフォーラム上映の短編アートアニメーション。

双子の少女、ソワナとハダリー。しかしハダリーは発明家エディソンがソワナに似せて造ったアンドロイドだった。ハダリーは未だ人間としての精神、生理を完全に持っていない。それには、人間の精神を養うある儀式が必要だった。その儀式とはエディソンが製造した「独身者の機械」という巨大な実験装置によって行われる。その日も儀式の時間を告げる時計が動き出した。思春期の少女の、壁に閉じこめられた内部の世界。定められた時間になると、彼女たちの部屋の扉が開く。少女から「女」へ、通過する「独身者の機械」の儀式が始まる…。

なかなか良作!
少女2人のお耽美なお花踏みつけスタートからもう好みだし、少女とサイバーパンクな機械との組み合わせというのも乙。
全体的に何やってるのかとか何を意味するのかはいまいちわかんないけれど、とりあえず性的な匂いはした。
人間を無目的に動く高位の全自動の機械として、目的を以て作られたアンドロイドであるハダリーに全自動性と無意味性を付与するのが今回の「独身者の機械」なんだろうけど、やっぱりよくわかんない。

監督の引用している『人間機械論』という著作は知らなかったので、ぜひ読もうと思った。

▼以下監督のコメント
「私の欲する映像世界とは、自動人形に於ける世界と言ってよい。自動人形というとオルゴールの音やチェンバロの単調な音に合わせて、円を描いたり片手を上げたり、首を傾げたり、そういうゼンマイ仕掛けのオートマットである。
”人体は、自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である。〜ラ・メトリ『人間機械論』より”
この『人間機械論』は今回の作品を作る上でかなり大きな位置を占めている。機械からその使用目的を奪い、機械を無目的な、無償なものとし、生活的執着から全く離れたオブジェに還元する。私はこのオブジェにフェティシズムを感じるのである」
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