まつけん

ドラキュラZEROのまつけんのレビュー・感想・評価

ドラキュラZERO(2014年製作の映画)
3.4
本日はアマゾンプライムで1.5時間のほどよい尺の映画「ドラキュラZERO」。うわ、中二病かよ的なタイトルですが、私、実は中2の頃にルーマニアに行ったことがあるのです。
祖母の骨董集めツアーに便乗して。そうドラキュラと呼ばれるヴラド3世のお家とかお城とかを観に。当時はヨーロッパ一貧しい国と言われ、ジプシーが至る所にいるけれども、観光スポットの黒の教会とかは、煌びやかでは全くなく、質素な中に厳かな雰囲気があったり、中世ヨーロッパの街並みが手付かずで残っていたりと、いまだに記憶に残る旅でした。(ルーマニアはたばこもお酒も年齢制限がなく、中2にしてアルコール度数70度くらいの地酒を飲んだのも良い思い出)
男の子、みんな小さいころに、ピラミッドとかドラキュラとか興味を持ちましたよね。
ちなみにこの映画、思ったより、大筋は史実に基づいています!そして途中から悪魔と契約していくので、なんとなく物語の世界への2部構成な感じ。
ドラキュラと呼ばれるのは、ルーマニアにあったワラキア公国を治めたヴラド3世。ドラキュラとは、彼の父ヴラド2世が申請ローマ帝国のドラゴン騎士団に叙任され、ドラクル(龍公)と呼ばれ、その息子という意味らしい。

~映画に関して
思ったより映像もGood!(最初の方は300を思い起こさせるような…)
ストーリーは結構雑ですが、1.5時間だからまぁいっか。キャストは豪華で、ルーク・エヴァンスが主役。先週公開のミッドウェイやワイルドスピードに出てる肉体美。
ZEROと言うからには続きがありそうな雰囲気です。
ワラキア公国の公位に付いたヴラド3世は、オスマン帝国から自分の息子を含めた1000人の少年を人質として差し出せと言われるが、家族愛によりオスマン帝国とたたかう道を選ぶ。強大な大国に抗うために、闇の力と契約を結ぶ。
果たして闇の力は家族を救うのか、国を救うのか。
ヴラド3世がドラキュラになっていくまでを描いたダークファンタジーのアクション映画です。
ストーリーが弱いけど、マッチョがワイワイ戦っているのが好きなら時間も短いしいいと思います!

~ここからは映画無視してヴラド3世の歴史をつらつらとメモ~
ヴラド3世の父、ワラキア公国のヴラド2世は、ハンガリー王国に攻められて、オスマン帝国に助けを求める。その代わりに次男(ヴラド3世)と三男を人質として王宮に預けることに。(当時11歳くらい)
デヴシルメという徴兵制度で、キリスト教国家の人質や捕虜を集めて、イスラム教へ改宗させ、教育・訓練をして、オスマン帝国の先兵隊としてキリスト教国家の戦いに送り込んでいた。
5年くらい経った1447年、父のウラド2世と長男がトランシルヴァニア地方のお偉いさんに殺されると、ワラキア公国を手に入れたいオスマン帝国の後押しを受けてヴラド3世はワラキア公国に返り咲く。その後一度公位を奪還されるが再び取り返し、大貴族たちを粛正して中央集権体制を築き安定を目指す。
その間に1453年、オスマン帝国はコンスタンティノーブルを陥落させ、1000年続いた東ローマ帝国を滅ぼした。
ただ、キリスト教国家とオスマン帝国の戦いは、東ローマ帝国滅びた後もまだまだ続き、バルカン半島のキリスト教国家とオスマン帝国は一進一退の攻防。負けてばっかりではなかった。
ワラキア公国ヴラド3世もまた、オスマン帝国と敵対するべく、貢納をやめ、催促に来た使者を串刺しに。
ちなみにキリスト教国家では、串刺しは普通に行われる処刑法で、主に農民の犯罪者に多く適用されたようです。ヴラド3世の場合は、斬首が基本の貴族に対しても串刺し処刑を行い、敢えてその貴族の地位を貶めていたとか。
とりあえず、使者を殺されたわけなのでオスマン帝国は怒りくるい、強襲。オスマン帝国の強さを人質時代に知っているので、正面から戦わず地の利を活かして何度か撃退。なんならメフメト2世の首を狙うところまで反撃。取り逃がしたけれど。
怒ったメフメト2世は再度攻撃!
そうです、この時彼のあだ名がついたのです。「ヴラド・ツェペシュ」。ツェペシュとは「串刺し」の意味で、なんとメフメト2世が攻撃するとお城のそばには所狭しとオスマン兵の串刺しが。まるで森のように。
これをみてメフメト2世は正攻法の攻撃を諦めたといいます。昔一緒に人質だった三男坊バトゥを支援し、反ヴラド派貴族を応援し、内乱を。結果1年後ヴラドは亡命する。亡命先はトランシルヴァニアで、同じメフメト2世を退けていたハンガリー王マーチャーシュ1世の領地。なんと亡命したはずが、そこでヴラドは幽閉されてしまう。
そう、ヴラドは若き頃オスマン帝国に人質となっていた歴史から、オスマン帝国と通じているのではないかというマーチャーシュ1世の言いがかりに近い懸念を盾に幽閉されたのだ。実際はオスマン帝国と正面から戦うために、十字軍編成の要請を断り、兵力を蓄えるといった戦略もあり、ヴラドを幽閉しすぐに事を荒立てないように画策したとか。メフメト2世を倒すという同じ目的だけれど彼は着実ですね。
十字軍の編成要請を断る理由にヴラド3世を利用していたとも言います。ヴラド3世という串刺しにすることが趣味の、人の血肉を食べる恐ろしい人物を監視するためにも要請には従えないと、この架空の悪評を諸国に当時の最新技術である活版印刷を用いてポスターとして触れ回っていたという。ここから吸血鬼というイメージが出来上がっていった。
幽閉数十年、1474年にマーチャーシュ1世から改宗と結婚という条件を突き付けられ、それをのんでワラキア公位に3度目の正直で返り咲く。ここからはオスマン帝国と戦い続けて2年後に戦死、45歳。
それから半世紀、オスマン帝国スレイマン大帝により完全に支配下に置かれることに。徹底抗戦を続けた、ハンガリーとルーマニアは他地域とは異なって自治を認められたそうな。
ハンガリー王として徹底抗戦した、マーチャーシュとその父フニャディは英雄であり、マーチャーシュは紙幣に肖像が描かれている。
片やマーチャーシュから悪評を流され、、先ほどの悪評でのイメージから着想を得たであろう、ブラム・ストーカーと言う人が、人の血を夜な夜な吸う吸血鬼ドラキュラという本を1897年に書いて大ヒットしてしまったので、ヴラドはドラキュラのイメージが残り、、最近はルーマニアの英雄として見直されているらしいけれど、実際は正当な評価をされずイメージ先行型のかわいそうな偉人なのかも。
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