まる

沈黙ーサイレンスーのまるのネタバレレビュー・内容・結末

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

最後の踏み絵の場面…。悔しいようなむなしいような辛さが押し寄せてきた。宗教と日本人の国民性、歴史にここまで思いを馳せてこの作品を作り上げたスコセッシ監督にお礼が言いたいような不思議な気持ちになった。そしてBGMがなく、常に沈黙というテーマが寄り添っているのが素晴らしい演出だと思う。時たま挟まれる静寂もいい意味でこの映画を盛り上げていたと思う。

キリスト教の教育を12年受けてきて(わたしは信者ではないが多少人生観や宗教への考え方はキリスト教から影響を受けていると思う)、なんならこの沈黙の話の内容は事前に知っていたのだけれど映像で目にすると衝撃が大きかった。

宗教は信じる人にとっての心の支えと救いになっていることは間違いないのだけれど…宗教は権力と切っても切れない関係にあるため、キリスト教の本来の教義そのものも、歴史上統治や協会の存続に都合のよいように作り変えられてきている。キリスト教が権力に屈し権力の存続に利用された背景がある宗教である以上、異国に渡って弾圧を加えられても、自分の信じる教義だけが真だと思い信じることにこだわり続けて死んでいく人たちの命は誰のために捧げられたんだろう?と思えてしまう。

そして信仰を形式的に捨てた人たちも、心の根にはずっと信仰を持ち続けている。だから踏み絵をさせたり拷問して改宗させたりしても、権力の存続に都合の悪い思想の排除という、根本的な問題の解決にはなっていない。弾圧に耐える側も弾圧を加える側も、無駄な挑戦をしているように思われて…そして神は沈黙を貫いていて…見ていてとても辛かった。

ここからはバラバラと。最後の仏壇に手向けられた百合は、キリスト教ではマリアの心や清らかさを象徴し、大きな意味をもつ。本来は日本では仏壇に菊を捧げるけれどもあそこで百合が飾ってあった背景には、ロドリゴとロドリゴの妻の間にキリスト教が常にあったということなんだなと思った。先程信じることにこだわることのむなしさと難しさを少し書いてしまったけれど、深く信じることはそれだけ人の人生に根深く残り、その人の生き方そのものであるから、こだわらないでいようと思っても困難なものなんだろうなとも同時に思う。信仰をあまり持たない今の日本人にはわかりづらい感覚なのかな?

宗教を啓蒙しようと思うとある程度の教義や型を作らねばならないけれど、みんな自由に解釈し自由に頼りながら生きていけたら理想なんだろうな…難しい。

うまく感想がかけないけれど、無限に考えるフックを残してくれるような、学びの深い映画だった。
最後に…キチジローをどう考えるかは色々な人と話してみたい。
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