沈黙ーサイレンスーのネタバレレビュー・内容・結末

沈黙ーサイレンスー2015年製作の映画)

Silence

上映日:2017年01月21日

製作国:

上映時間:159分

3.9

あらすじ

17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。 日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロド…

17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。 日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。次々と犠牲になる人々。守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは―。

「沈黙ーサイレンスー」に投稿されたネタバレ・内容・結末

当たり前に信仰の自由が認められてる現代の日本に産まれて本当に良かった。
憲法への感謝の念が湧き出て来る作品。

自分は無宗教を自覚しているが、それも信仰の自由があってはじめてできること。
その時代の権利者に内心の自由まで制限されるのは本当に辛いと思う。

試練と呼ぶにはあまりに酷い拷問により、背信せざるを得ない主人公。信仰の葛藤の中、沈黙(サイレンス)を破りようやく聞こえた主の声は、棄教(転び)の勧め。
主への信仰を捨てた時に初めて他人を救えるという矛盾。緊張感溢れる場面が続き、見終わった後に空虚が訪れた。

余韻に浸るうち、殺された何万人もの人や世界文化遺産への登録を思う。
同時に自分があの時代に産まれたら拷問をする役人側になっているだろうことに気づく。権力者に従う卑怯な者のみが生き残れるという事もまた真理の1つなのだろう。
原作読んでいたので忠実に作ってると感心した。「あの人」のシーンをどんな風に表現してくれるかと思ったら、セリフのみと言うところに少し拍子抜け。あと最後の方、キチジローとの関係性は台詞でなく映像で見せてほしかったな・・・しかしちゃんと通じるかつ棒読みでない日本語が飛び交っていて、スコセッシの本気を感じました。
辛いのでもう2度と見れねぇ・・・
やっぱり小説のが好き。
‪▼概要‬
‪17世紀の日本。‬江戸時代初期、雲仙。

かつての師であるポルトガル人宣教師を探して、その弟子らが日本で受ける棄教への弾圧と葛藤を描いた作品。‬

‪▼物語構造‬
‪悲劇、独白

‪▼感想‬
‪・技術‬
台詞の隙間に挿入される主人公の独白によって、シーンの凄惨さがより引き立つ仕組み。

‪・引用‬
クリストヴァン・フェレイラの半生

‪・感想‬
『遠藤周作 / 沈黙』を原作とした、巨匠マーティン・スコセッシが30年越しで完成させた映画。

信仰を捨てるか否かだなんて、現代日本社会にはほとんど縁のない話だろう。
しかし、本作は遠藤周作によって記された史実を基にした物語である。本来的には、我々のすぐ傍らに内包していた(内包していなければならない)問題を描いているのだから、他人事だと思って軽んじながら鑑賞してはいけない。

仏は人が到達できる存在であり、煩悩を捨て悟りを開くことで到達できる境地だ。
世の真理として布教されていたキリスト教と比べてしまえば、そもそものレイヤーが異なるのだから、決して相容れられないのは必至だ。

はたして、人の強さとは。

悪は存在し、本来的には悪には悪の美や美しさがあるもの。
ところが、少なくとも私の27年の人生においては、本作のキチジローを上回る悪ばかりが目に付く。
告解とは何か? そもそも告解するべき事柄とは? といったように罪の定義からして判別がつかないような輩ばかりだ。

赦しの奇蹟? 愛と貞節?
そんなものが、現代日本において何の意味を為すのか。

むしろ生き抜く上で邪魔になっているのではなかろうか。人間は生まれながらに抑圧されて産まれ落ちる生き物だが、ここまで醜い悪が蔓延るのであれば、もはや志を捨て獣の如く対抗するしかないのではなかろうか。背教者として反抗し続けるには、あまりにも厳しい世の中だ。

昨今ではテロリズムの報道で最もよく耳にする言葉になった『殉教』は、奇しくも唯一、現代においても志を諦めず葛藤している言葉として残ってしまったのかもしれない。最も辛いはずの、自らの命を捧げる愛の行為として。

本作の主人公は、アンドリュー・ガーフィールドで正解だ。
アダム・ドライバーの方が、顔つきにはイエス・キリストっぽさがあり、とても主人公顔だ。しかし、『沈黙』と題する本作には、その印象は強烈過ぎるだろう。
中学のときに部活で関連音楽を演奏したのがきっかけで、文庫で買った遠藤周作の「沈黙」の映画化!すっごく気になっててやっと観たー!
生きるために棄教するか、信仰を貫き死を選ぶか、、。今の日本からしたら信じがたいことだけど、実際にあった話。
戦国の時代、他国の信仰が自国に広まるのが危険だと考えるのは確かにそうかもしれないけど、悲しい苦しい映画でした。
でも、神父と隠れキリシタンの間には、国境を越えた揺るぎない絆があったんだなぁと感じました。
ガーフィールドの神父役、忠誠心や仕草、とてもリアルで心が張り裂けそうだった。ソーシャルネットワークとはまた違った味。
キチジローは何回も裏切り行為をしたのに何故だか憎めなかったなぁ。窪塚の演技力かな?わたし的に大好きな加瀬さんがセリフもあまりなくあんな結果に終わるのも悲しかったです。(笑)
BGMもないままストーリーは進むけどとてものめり込んで観てしまうし、エンドロールの虫の音も、なんとも言えない気持ちになりました。
傍観者視点で見ていることしかできない非情な現実。その先にある神との対話。形式としての「宗教」を捨て神への直接的な「信仰」を手にする。それは異国の地で出会った彼らが行っていた「信仰」そのものではないか?その地では途絶えることなく根付いていたのだ。
日本の描き方に違和感ないのがビックリ。役者も窪塚の「俗」感やイッセー尾形のクレーバーさ、塚本晋也の体はった姿が印象に残った。片桐はいりはシンゴジよろしくワンシーンで持っていく感じに草。
アンドリューガーフィールドはアンドリューガーフィールドだった。
観るのがとても辛かった。

主がずっと沈黙していたけれど、最後に沈黙を破り、主人公かやっと解放された感じがした。
1971年版の『沈黙』と比べて、スコセッシは日本の文化的背景を汲み取った上で丁寧に分かりやすく映像化してくれたという印象
宗教と密接な関係が無い私の言うことは的外れかもしれないが、これを観て思ったのは、神様というのは見えたり見えなくなったりするものだということ
つまり自分の中で信仰心が高まれば高まるほど神の存在を近くに感じられるのだろう
本作で神がロドリゴに語りかけるシーンもあれば、彼の絵踏みシーンでは無音になる演出があるのは、そういうことを言わんとしているのだろうと考えた
あとロドリゴがガルパに「still alive!!!」と叫んだり、焼き払われた村を見て「あなたの沈黙がおそろしい」と嘆いたり、神父でありながら神に背くとされる言動を取ったり、神を疑ってしまう葛藤が巧みに描かれていて共感を煽られた、すごい
それからキチジローという存在がこれまたすこぶる良かった
彼は立場も精神も圧倒的に弱い男で、キリスト教を信仰しているが隣人を愛すようなことはしていない
彼は井上が言うように「得体の知れないものに姿を変えた宗教」を信仰している日本人の象徴とも捉えることが出来る

どうして?なんで?と現状が続くと人は疑心暗鬼になるし、自分の“絶対”だって揺らいでしまうことだってあるだろう
それでもこの作品が言いたいことは、神は沈黙していない、ということだと思った

《備忘録》
https://www.google.co.jp/amp/s/a.excite.co.jp/News/bit/20170218/E1486731536714.amp.html
偶像崇拝も、儀式や形式を重視するカトリックを改めて敬遠する作品
日本へ布教しにきた宣教師の話し。
すごい長い映画やけど、それを感じさせないほど入り込める映画やった。冒頭とエンディングの虫の鳴き声がすごい日本っぽくてよかった。
骨太な作風とロケーション含めたカメラワーク等のおかげで見応えのある作品だったけど、如何せん信仰心の欠片もない自分にはあまりのめり込んで鑑賞出来なかった。

イノウエの「沼の様な日本にキリスト教は根付かない」やフェレイラ神父の「信者達は神のためではなく、お前のために殉教しているのだ」という台詞がぐう正論すぎて、後半はなかなか棄教しない主人公にイライラしながら観てた。
ガーフィールドの若さと貫禄のなさ故に、あれ程までに強い信仰心を持った人物に見えなかったのもあるかも。

窪塚洋介も重要な役どころの割には見た目や言動が中途半端だと思った(個人的にはもっと憎たらしさを出してほしかった)。
今作では塚本晋也が一番迫真の演技だった。
あの海の中での磔シーンが今作のハイライトかな。
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