ほいほい

沈黙ーサイレンスーのほいほいのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.1
フォロワーの湯林檎さんにオススメして頂き視聴しました。

この時代にこれだけの英語を話せる日本人がいるのならば、2020年現在の日本人の過半数以上が英語喋れるようになってないと整合性が取れないんじゃないの?と思ってしまった現実主義。

まぁこれは冗談として。

日本人にとって信仰というのは、正直馴染みが薄い。
日本人の大半が仏教徒であるにも関わらず。(火葬され墓に納骨される人を乱暴に仏教徒と仮定しています)
何の説明もないままに、葬式に出て南無妙法蓮華経を聞かされ、何の意味も分からぬまま墓参りをさせられる。
当たり前のようにそうやって過ごさざるを得ない環境に、今は違和感しかない。
何故そのような行動が必要なのか?理解している人が少ないからではないか、と推察します。

説明もないものに参加させられる苦行を与えられると、それは嫌なものとして捉えざるを得なくなる。
この辺りの違和感が宗教が根付かない要因なんじゃないかと思っています。

その割に、みんな神様を信じたがる。
特に自分の都合がよくなるように願う。

ここからが本題。
信仰するということは、何なのか?
意味と意義を問われる映画でした。

何かを信じると強くもなれるし、盲信すると痛みを生じる事もある。
これは現代においても全く変わりはない。

人間は決して強くない。
だから信じる何かを必要とする。
それが神であれ、家族であれ、友人であれ。

信じて裏切られをよくやられるであろう芸能人たちが拠り所を宗教に置くという気持ちは理解出来る。
宗教は決して裏切ったりしないから。(お金は搾取されるけど)
揺るぎない場所が欲しくてそこに身を置くのではないか。

僕も神頼みをしている頃があった。
明日のテストでいい点とれますように。
次のデートがうまくいきますように。
…。
どれも自分自身の手でどうにかなる事だという事に気付くまでに、そう時間はかかりませんでした。
そして、神頼みを辞めた。
失敗しても自分に責任を負わせないようになる気がして。
いつしか神社にも行かなくなり、無神論者になった。
きっとこれは、僕が弱いから。
自分を律しなきゃ生きていけないから。

そういう生き方もある。

この映画を観た方は、窪塚洋介演じるキチジローの心の弱さに複雑な思いを寄せた事でしょう。
だけど、この姿こそが誰の心の中にでもいる人間の醜い部分だからこそ、印象に残ったのではないかと僕は思いました。

言いたい事、考えたい思いが溢れ出てくるそんな映画です。
湯林檎さん、ありがとうございました。
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