NoriD

自由が丘でのNoriDのレビュー・感想・評価

自由が丘で(2014年製作の映画)
4.3
ホン・サンス×加瀬亮。

僕は、ホン・サンス映画が大好きだ。
なぜなら、とてもナチュラルだから。メルヘンな恋愛が存在するわけでもないし、ものすごく強く、たくましいいそうもない超人も出てこない。
そこにいるのがあたかも自分や、そこらへんにいる人間が中心である。そこに、真の恋や人間が存在するような気がしているからだ。

そこで本作。
「時間」と「夢」。

手紙の順番が分からなくなる冒頭。時間があまりに曖昧であり、とらわれすぎると何がなんだか分からなくなる。自由がたちまちにして消えてしまう。もし、時間が気になってたら男は女を追う余裕も、女が男にチヤホヤされる一見無駄そうな時間を楽しむことさえもできない。
だから、この映画の最初にこの概念をぶっ壊したような気がする。その後に続く、整えられたものではないパズルのような物語だからこそ自由度が高く、時間というフィルターを忘れさせてくれる。

そして、モリはよく寝ている。まるで物語の全てが夢でできているような感じがしないでもない。これは『へウォンの恋愛日記』などにも共通するところ。この世のすべてが夢のようなもので、とても儚く、たちまちにして過ぎ去っていく。「時間」を気にして、「夢」のような一瞬を楽しめない不自由さでは「生」も「性」も楽しめない。何度も関係を持つ女や男と別れる。でも、その瞬間はキラキラして、周りが見えない。時には、家に帰ってなんてことをしてしまったんだと叫ぶ。そんな一瞬に過ぎ去っていったものはまるで夢のようでいて、とっても現実的でもある。

ホン・サンスの魅力はそれだけにとどまらない。作り方が上記と密接に関係しているからこその一貫性。とにかく究極にシンプル。世の中、説明だらけではうんざりする。捨てる覚悟。それも映画にとってはとても大事だと思う。

自分たちのちんけな物語だからこそ、自分たちの人間らしさ、すなわち欲望、喜び、ちょっとして理性、女のけつをおっかけてしまう男の姿、チヤホヤしてくる男とついつい寝てしまう女が自分のことのように思われる。それは決して蔑視や差別ではない。自分たち自身のストーリー。

だから、ホン・サンスはやめられない…
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