このレビューはネタバレを含みます
分解や破壊を通じて、ショック状態の自分を修理していく。修理するには分解し、分析し、時には壊す(解体)こともある。
以前であれば気にもしないであろう、空港を行き交う人々、ドアのきしみや、通りの名前すら言及し始めるように、無関心であることから、徐々に外へ意識を向けていく様を、間接的に表現していくことがこの映画の好きな部分。
自分(夫婦)の家を解体することで、自分の心を取り出して、見つめてみる。分厚い壁に覆われていた無関心の心は、さまざまな物の分解を経て、釘を踏んづけたときの物理的な痛みを感じた時のように、感じることができるまでになっていったように思う。
そうして何にも覆われてない生身の心をさらけだすこと(晴れの日)で、初めて奥さんに会えて(愛に気づく)、結果ふせんの「you’ll think of me」を実行してメリーゴーランドをたてる、ということなのかな、と無理矢理結びつけてみたり。
でも結局奥さんはもういないし、心がむき出しになった分、ここから先は苦しいと思うのだけど、それでも愛を感じるためなら苦しむ価値はあるんだろうか。
価値はある、というのは簡単だ。そもそも解体に至るまでどれほど要するだろうか。分厚い壁をまとって不感でいるほうが楽かもしれない。