このレビューはネタバレを含みます
本質を捉えることに長けているのに、と言うのはおかしいけれど、キャロルはとてもお洒落だ。彼女の顔の脇だけ外巻きになっている髪型も、綺麗に塗られたコーラルオレンジのネイルも、遠くからでも彼女と分かるあでやかさも、見ていると時間を忘れる。
お互いを見た瞬間惹かれ合うのだから、主演の2人の見た目はとても重要だったはずだ。加えて50年代のファッションと、べっ甲飴を透かして見ているような色彩、この映画は視覚だけで9割成功している。
テレーズが求婚者ではなくキャロルと過ごすことを選ぶ理由を、「話が通じるからよ」と言う。
2人のパートナーの男達は、彼女達のことを分かっていないし、知ろうとも思っていない。女に人権を与えていない。この時代だからと言いたいが、今でもこんな男性はごまんといるだろう。
もし、男たちが「話の通じる」人であったらどうなっていたのか。
それでも彼女たちは惹かれあったと思う。
理解のあるパートナーへの罪悪感を抱きながら。逃避行という手段は選ばず、静かに寄り添うだろう。
自分らしくいることをやめないと宣言したキャロルが、それでも娘にはひどい思いをさせたくないと、せつせつと語る。
本当に自由な人は、他人の自由を邪魔しないし、心を縛り付けたりしない。失敗も人のせいにしない、全てを引き受ける覚悟がある。こんな風に生きたい。
キャロルは予告で言われていたような「かわいそうな人」などでは決してない。