こーた

キャロルのこーたのレビュー・感想・評価

キャロル(2015年製作の映画)
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恋愛はサスペンスにぴったりの題材だ。
ふたりが出会い、徐々に惹かれあっていくさまは、緊張感に満ちて、観るものをハラハラさせる。ふたりの関係性と、それを見守る第三者。この構図こそが、サスペンスなのだ。

しかもこの映画のふたり、キャロル(ケイト・ブランシェット)とテレーズ(ルーニー・マーラ)は、稀代の美女ときている。美女はひとりでも充分なのに、それが二倍になるという、お得感笑。
そんなふたりの駆け引きは、永遠に観ていたいと思えるほどに格別だ。いとおしくて繊細。観ているこちらまで恋に落ちてしまう。

多用されるガラス越しのショットが効果的だ。
ふたりのやりとりを、覗き見するような背徳感(それは映画そのものの枠組でもある)は、観るものを必要以上に不安にさせ、靄がかかったような質感は、幻想的でもあり、夢見心地のような浮遊感を与えてくれる。
と同時に、スクリーンと観客を、そしてふたりのあいだを隔てる、目に見えないガラスの壁の存在が、苛立ちを募らせる。届きそうで届かないもどかしさに、想いはいや増す。
だからこそ、その壁がついに取りさられ、真の美に触れたときの悦びは、ひとしおだ。
そんな感情の変化が、恋愛体験そのものであり、実に映画的でもある。映画による疑似恋愛。映画を観る、という行為そのものと、恋愛感情が折り重なって揺れるその振幅が、このうえなくたのしい。
映画と恋は似ている、のかもしれない。

窓ガラスに反射して、顔のうえを滑っていく風景と群衆が、ふたりの孤独を深めていく。そう、孤独だ。だれにも理解されないという孤独。この物語は、恋の裏側にある孤独感を、じつに巧みに切り取っている。
この孤独がおおきいからこそ、わたしのことを真に理解してくれるあなたがあらわれたとき、それが天から落ちてきたかのような衝撃をうけるのだ。
かくしてふたりは恋に落ち、観ているぼくは映画のなかに、ふたりの物語のなかへと、落ちていく。