あでゆ

ハッピーボイス・キラーのあでゆのレビュー・感想・評価

ハッピーボイス・キラー(2014年製作の映画)
3.0
青年ジェリーは、バスタブ工場で働いているだけの代わり映えのない日々を過ごしていたが、とある女性に心を奪われる。何とかアプローチを重ねて、彼女との距離を縮めることに成功したジェリー。しかしデートの約束をすっぽかされ、あげく不運にもうっかり殺人事件を引き起こしてしまう。さらに、慌てふためくジェリーをペットである邪悪な猫と慈悲の心にあふれた犬が振り回し、狂気のふちに追いやる。

あらすじやストーリーで強調されている”彼の驚異的な不運”というものはイマイチ理解できなくて、ナイフ持ちながら歩いててうっかり転んで殺しちゃうとか不運というより不注意だろ!!っていう気がしてしまう。しかし、そういった細かいノイズも、この映画を占める全体的なポップテイストによって気にならなくなる。おそらくこの映画をノーランだったりが撮っていたらとてもダークでシリアスな、かわいそうなサイコキラーとしてジェリーを描くのだろうが、本作はとにかくひたすら明るいのだ。

作品全体を包み込むのは”美しい非現実感”だ。土砂降りだった雨が主人公が登場する時にはすっかり止んでいるし、ぐちゃぐちゃだった死体は翌日には美しい姿になっている。画作りも全体的にビビッドで懐かしい色合いになっていて、往年の海外ホームドラマのようなちゃっちさ、非現実的な清潔感が感じられる。この作品は主人公の前からとにかく不潔な、不快なものを隠そうとする。どうぶつ達がおもしろおかしく話す世界はハッピーで、彼らの”お願い”を聞き入れるジェリーの姿はさしずめ『どうぶつの森』だ。
中でも特に面白い演出なのは、主人公が部屋にいる間は内装がきれいに映っているのに、一旦彼が離れると部屋が血生臭くなるというシーンの切り替えだ。これは視聴者側だけでなく、精神科医を始めとする他のキャラクターも同じで、彼がいなくなってから初めて事の異常さを認識する。
これらの演出はただおしゃれだからという理由で用いられているのではない。彼の統合失調症という非常に複雑な性質を視覚的に表現しているのである。考えてみると彼が身の回りの陰惨な環境を受け入れるためにはそうするしかなかったんだという、非常にセンシティブな問題まで行き着く。降らない雨も、綺麗な部屋も、喋る生首も彼の現実からの逃避法なのだ。

ライアン・レイノルズの澄ました笑顔がとてもサイコキラーとして利いているし、画作りも新鮮で楽しめた。エンディングがイカれすぎてやべえ。原題は『The Voices』だそうだが、この映画のタイトルは『ハッピーボイス・キラー』の方がハッピーちゃんで良い。この映画を観てデッドプールが彼に任されたというのも納得がいく気がした。ひどい境遇を面白おかしくふっとばすという点では似ているし。
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