COZY922

名もなき塀の中の王のCOZY922のレビュー・感想・評価

名もなき塀の中の王(2013年製作の映画)
3.8
以前、ACジャパンのCMで”こだまでしょうか”というのがあったのを思い出した。金子みすゞさんの詩が使われているCMだ。
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「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「馬鹿」っていうと「馬鹿」っていう。「もう遊ばない」っていうと「もう遊ばない」っていう。 そして、あとでさみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
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よいことも悪いことも、投げ掛けられた言葉や感情はこだま(木霊)のように跳ね返ってくるという詩だ。誰かを憎めば憎しみが返ってくるし、怒りをぶつければ相手も怒りをぶつけ返す。優しい気持ちで接すれば相手も穏やかな気持ちになるし、楽しいことをシェアし共に楽しめばそれは反響するだけでなく増幅したりもする。与えたものはさまざまな形で自分に返ってくる。

19歳の主人公エリックを観た時、何が今の彼を作ったんだろうと考えた。少年院では手に負えないほど荒くれたエリックは成人の刑務所に移送され、そこに収監されている父親と出会う。彼が発する感情のほとんどは怒り。そして制御がきかない暴力衝動に身を任せ、衝突し、そこはたちまち戦闘の場と化す。

物語の舞台は終始 刑務所の塀の中で、彼がそれまでどんなふうに育ち、どんなふうに生きてきたのか具体的に描写されることはない。が、きっとこれまでの人生では、怒ることでしか自分を守るすべが無かったのだろう。幼い頃に性暴力を受けたと思われるセリフがあった。感情は木霊のように反響し、それは更に伝染しがちなものだということを考えると、 怒りや負の感情を攻撃的に発散する人が多い環境で育ったのだと思う。

父や、他の受刑者、セラピスト、看守達のいる特殊な閉塞空間はさながら弱肉強食の獣社会。鬱屈した感情と疑心暗鬼が渦巻く。が、刑務所内ヒエラルキーにおけるパワーゲームに揉まれながらも、セラピストや他の受刑者との交流や、父の不器用な愛に触れたことで彼の心の中にも変化の兆しが見え始める。

ラストはなんとも言えない。ありがとうと言えなかった、ありがとうを知らなかったエリックが、最後はそれが言えるようになるのだ。だが、それを知るまでに払った代償はあまりにも大きい。

ラストシーンの回り続ける回転扉。刑務所の中に姿を消したエリック。彼が塀の中で知った愛情や、怒り以外の感情表現を塀の外で 与え表す日は来るのだろうか...?
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