ヤマ

私たちのハァハァのヤマのレビュー・感想・評価

私たちのハァハァ(2015年製作の映画)
4.7
この薄っぺらさと胸糞悪さこそが、青春映画の醍醐味であると言いたい。

本作は、クリープハイプというバンドを青春の象徴として描きます。ですが、それは決して肯定的な意味だけではないです。
1つのアーティストを信仰する、成長しきれない子供の愚かさと危うさを描くためのギミックとして使われています。

本作の面白い所は、4人の精神的成熟度にギャップがある点。
文子はクリープハイプを神格化しています。彼女は他の3人との温度差を感じ、自ら孤立していきます。
手に持ったタバコに火をつけようとしますが、つけ方がわからず吸うことができません。男性経験も無い。精神的にも、肉体的にも、一番幼い。作中で涙を流すのは彼女だけ。

他の3人にはどこか大人な部分が描写されています。
さっつんには彼氏がいます。「クリープと彼氏どっちを取る?」という問いに答えられません。それは「クリープが隣に来ることはない」ということをわかっているから。

チエはこの旅に楽しさだけを求めていました。なぜなら楽しまないと意味が無いから。彼女も現実を理解しています。「クリープと私たちが遠い存在だってわかってる?」。そして「クリープハイプなんて好きじゃない」とまで言います。
好きじゃないわけじゃない。でも届かない存在だとわかっています。

一之瀬はこの4人の中で一番成熟しています。悪く言えば不良ですが。
タバコは吸うし、退学届は出すし、彼女だけはバイトでしっかりと金を稼ぎ、そして喧嘩にも参加せず、仲裁をします。
こんなやり取りを何度も見てきているんだなとわかります。

「クリープのライブが始まったっていうのに、世の中は何にも変わらないね」と言う台詞。
人気バンドとはいえ、世間から見れば局地的なモノであるという現実を省みることで、思春期から少しずつ脱却していき、成長していきます。

ですが、根本的なところで、やっぱり4人とも子供なんです。
相手が別世界の存在だとわかっていても、走り出さずにいられない。

自転車は"自分の力"でしか前に進みません。彼女たちは序盤でその自転車を乗り捨てます。
そして、その後はヒッチハイク、つまり"大人の力"を借りて進んでいくんです。
子供だけで行けるところには限界があります。彼女たちがそれだけちっぽけな存在だということが明示されます。
ですが彼女たちはそこにすら気づきません。「日本思ったよりでけぇー」とかアホみたいなこと言います。そして他人の車に乗せてもらえることが当たり前だと思っています。世の中を舐めてます。馬鹿です。子供です。
それを本当にイラつくくらいリアルに描いてます。そこを自分は評価しました。何よりもドキュメンタリーに近い映画だと。
フィクションでこんな作品が撮れるということが衝撃でした。

キャストの演技力、ネット描写のリアルさ、彼女たちの行動を美化させない脚本。画角を上手く利用したPOVパート。
脇役にも力を入れているところがまた面白い。池松壮亮の使い方も抜群。

そしてクリープハイプの曲があまり使われないところも、この作品がアーティスト映画にならないよう慎重に配慮されていると感じた。
でも要所要所で叙情的に使われる曲が映像とシンクロします。泣かされます。
この脚本のこのポジションで出たいバンドなんてそうはいないでしょう。監督との仲が良いとはいえ、それを担ったクリープハイプには好感を持ちましたね。

女子4人の言動は痛いし、イライラするし、こいつらうぜー!と思う。
でも自分達の憧れに向かって、全力でハァハァしている。そんな若さが眩い。
繊細でありながら、パワーがあった。ズバピカの一本。
ヤマ

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