ランドールスティーブンス

セッションのランドールスティーブンスのネタバレレビュー・内容・結末

セッション(2014年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

この物語は成功しなければ美談にできない。そんな苦しみを感じた。

最後のワンシーンで、ニーマンが舞台に戻らなければ、戻れなければ、ニーマン自身も人生に一生の傷を背負うし、立ち直れない程の罪悪感と苦しみ、色んな葛藤が渦巻いて後味最悪なサイコ映画となっていたし、フレッチャーもそうだ。ニーマンが戻らなければ、テンポを取れなければ彼はただのパワハラ極悪指揮者だった。
フレッチャーのやり方は誰が見ても最悪。パワーバランスでの弱者こそ本当の意味での強者という意味わかんないヒエラルキーを形成してる現代では、即刻叩かれていたタイプの人だよね。

あどけなさがあるニーマンの目が段々と虚になっていくのを見てるのすら辛かった。
でも彼は音楽に直向きだった。
あるいはただただ認めて欲しかったのか。
人より優れていると思えたものはドラムしかなかったかもしれない。実家のシーンを見るとそう思えた。
人間、三大欲求の次の欲は承認欲求だと言うけれども、まさしくその通りだと思う。人に認めてもらう事でしか本当の幸せを勝ち取れない。

血の滲む努力の果てに勝ち取れた主奏者という権利。言い訳の通用しない世界こそプロの道。ストイックだった。本当に苦しい。でもそこから離れられない自分がいる。

最後のワンシーン、フレッチャーが笑ったのかな?口元が映らなかったけど、そう感じた。でもそれすらも怖く感じた。次に怒号が飛ぶのではないかと。実際に曲の締めの一振りのシーンは実際にまた譜面台でも投げるんじゃないかとビクッとしてしまった。それくらいあの106分間に私の心にトラウマを植え付けたし、過去の嫌な記憶を思い出させられた気がした。


ただ、それだけこの映画がリアルで、怖くて、厳しい人を見つけるなり現実から目を背けたくなるこの現代では、観るべき映画でした。圧巻です。