らいち

セッションのらいちのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
5.0
衝撃。
震えが止まらない。熱さで総毛立つ。気付けば涙も出てる。 「この感覚は何だ!?」 自制しようとするが効かない。原因は興奮にある。結果、経験のない恍惚感に支配される。この映画はドラッグか。

待ちきれず、公開初日に観に行った。で、一晩経った。そして夢の中に出てきた。映画のシーンではない。何かの学校の授業に出ていて、突然自分が騒ぎ出すのだ。「みんな聞いてくれ!モノ凄い映画なんだ!!」と。自覚する以上に、この映画の共有欲が強かったらしい。。。

恐るべき映画が生まれた。宣伝文句の「映画史が塗り替えられる瞬間を~」は適当な表現と知る。鑑賞ではなく、体感であり、劇場を異空間と感じられたのは「ゼロ・グラビティ」以来のことだ。

ドラマーとして成功を夢見る19歳の若者と、その指導役となる鬼教師。物語はこの2人に集約される。鬼教師は紛れもないサイコパスであると共に、真のアーティストだ。その指導に食らいつき、精神的に追いつめられる主人公は次第に狂気の世界に入り込む。それは疲労や痛みを越えたゾーンだ。ドラムスティックとの摩擦により、裂かれた肉からは血が流れ出し、全身から汗がほとばしる。芸術と狂気は紙一重であるという真実が、虚構の世界で生々しく映し出される。

中盤までの流れにより主人公のサクセスストーリーを思い描くが、映画はその予想を蹴散らす。主人公が起き上がり、鬼教師がそれを支持したかと思えば、 突如いとも簡単に叩き潰す。主人公も負けじと反撃する。その攻防が物語の造形を「本来あるべき姿」からどんどん歪にしていく。そして、楽器を操るという表現行為の中にある、特有の恐怖と緊張が輪をかけて襲いかかってくる。「ギャング映画にしたかった」という監督の意図がよくわかる。鬼教師による常軌を逸した暴力的指導は、主人公を夢の実現へと導くのか、それとも挫くのか。その姿はスポ魂映画の顔をした、スリラーであり、ホラーだ。弛むことのない緊張と恐怖と糸が胸ぐらをつかんで離さない。

アカデミー賞で見た本監督のデミアン・チャゼルは、顔にあどけなさが残る若者だ。あの彼がこんな凄い映画を作るなんて信じられない。鬼のような才能と書いて「鬼才」は彼にこそ当てはまる言葉だ。彼の演出は緩急の使い方を含めて攻撃的だ。躊躇いがない「豪腕ぶり」というべきか。その筆致には迷いが無く、そしてエネルギッシュ。音楽のリズムを殺すことなく、キャラ同士の攻防を素早いタッチで捉え、どこまでも追いかける。セッションによる楽曲演奏のダイナミズムを様々なカットの連打で捉え、音楽という快楽の可能性を最大限に引き出す。シーンを冷静に見つめる視点があったと思えば、カメラの手ぶれを活かし、状況のライブ感、あるいはキャラクターの心情を的確に表現するなど、技巧派としての手腕もみせる。本作が自身の経験談に基づく話というアドバンテージがあったにせよ、その才能に疑いの余地はない。

狂演VS怪演。マイルズ・テラーとJ・K・シモンズの競演が圧巻だ。自己顕示欲に憑かれたテラーと、支配欲に憑かれたシモンズ。2人の火花がどんどん増幅していき、映画の体温がどんどん上がっていく。2人の顔面力も見物だ。ニキビ面で未熟さの中に野心を漂わせるテラーと、シワシワで不敵な表情を浮かべるシモンズ。この2人の顔面をこれでもかとアップで捉える。それに着目したチャゼルも素晴らしい。
そのインパクトから、何かとシモンズの演技に注目がいくようだが、テラーの繊細かつ大胆な演技はもっと評価されて然るべきだろう。テラーは本作で演技派としての道のりを決定づけたと思う(もともと巧い人だったけど)。

ラスト9分に待ち受ける2人の壮絶な「セッション」。
劇中語られる、ジャズシーンにおける伝説的な逸話。その伝説がラストに再来する。破壊し、解放され、そして共鳴する。神が舞い降り、奇跡の音楽が誕生する瞬間だ。至高に達しようとする、その上昇気流に2人は抗うことができない!もう上り詰めるしかない!この興奮たるや!!今思い出すだけでも体がゾクゾクする。

もう一度目撃したいと体が欲する。もう自分は「セッション」中毒なのだ。

【98点】

「バードマン」か「セッション」で今年のベスト1は決まりそう。。。
らいち

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