このレビューはネタバレを含みます
「この2つレンズが付いているカメラはなんだね?」
「3Dカメラっていうものです、監督」
「3D?どういう効果あるんだね?」
「被写体が飛び出てくるように見えますよ」
「ほ、本当かね!?」
ってな会話をしたかどうかわからないが、やたらとキャッキャしてるゴダールが見れる、いや感じる。
3Dをやたらと意識したコンポジションよりも、“現場にいる”感がすごい。間近でゴダールによって演出された役者たちが演技しているのが皮膚感覚で伝わってくる。
ストーリーは人妻と独身男が恋をして、喧嘩して、旦那もからんできて、やがて血が流れるってかんじ。
ただゴダールらしく章によって(第一章「自然」、第二章「隠喩」)人妻のキャスティング(俳優)が変わり、例のごとくヴァレリーとかドストエフスキーとかフローベルとかの引用の嵐。クラシック映画(『恐るべき子供たち』とか『キリマンジャロの雪』とか『メトロポリス』とか)も引用(背景に流れてる)されてたりするのだが、教養のない私には「なぜこの映画が?」という感じだ。
確か、ゴダールはC・イーストウッドと同期(84歳)だ。
語弊があるかもしれないが、イーストウッドはどんどん閉じていくような感じがあるが、ゴダールは開かれている感じがする。というよりこのお爺さんは「物語」の伝え方に未だジタバタしているようだ。新しい方法を暗中模索してるように。
ル・モンド紙は「この映画はゴダールの遺言だ」と評した。
映画を観ると「冗談でしょ」としか思えない。
@ヒューマントラスト有楽町(3/10/2015)