てんあお

SHARINGのてんあおのレビュー・感想・評価

SHARING(2014年製作の映画)
5.0
2016年の個人的、偏愛的一作。バージョン違いがある、前作『あれから』との関連性を合わせ観ないと感情的不発に終わりかねない、などの多少のキライはあるものの、鑑賞後しばらく経った今もなお、自分の関心を惹き付けて止まない。

最近また新たな上映機会に立ち合うことができた方々に向けて、私のこの作品に対する思いを、見つけてくださることを願いつつ。加筆したコメントを再掲させていただく(2016年11月15日現在)。

311直後の日本に生きる非被災者の精神的空虚さと、2014~16年現在の日本に於ける政治的不安を、切り取って愚直に問い直す。怒りと慰めをあわせ持つ「矛先」のような鑑賞体験。つくり手の痛みと苦しみに、自らのそれを重ね合わせる、共有の触媒のような作品。

本作のあとに製作され公開された『怒り。』などを観るにつけ、111分版を正とした、監督の判断の正しさをおもう。公開までの経緯で、脚本に関わられた三宅隆太氏の指摘により、敢えて用意された別編集版も確かに素晴らしいのだが、怒りと混乱を忍ばせ、それらも併せて観客と共有することで、本作の価値は格段に上がった。(一方で「ショートバージョン」を用意しないと、正しく理解されない、苦しみながら本作を作られた監督のためにならない、と指摘された三宅氏の優しさも、忘れがたいのである。)

また一方で、今年多くの劇場でスクリーンを占有した「映画」である『君の名は。』とも、奇しくもこの作品は内容的に「競合」する。内容を競合するものに対して、第三者が優劣をつけることは必ずしもよいことだとは思わないが、私は今年の一本を選ぶとしたら迷わず『SHARING』を選び、他者にもそう伝えたい。方や、2016年末を迎える今も多くのスクリーンで上映され消費され尽くしてもなお足らないとばかりの扱いをうけているが、『SHARING』を(劇場で)観たいと思っても叶わない現実がある。この両者を知るひとには、今年のうちに、この両者を比較できる意味について考えていただきたい。そして、この両者が置かれる、鑑賞機会の不均衡について、思いを馳せてもらえたらと願う。

製作規模と公開までのその歩み。公開規模が不遇で小さくても、引っかかる観客を掴んで離さないものがある。塚本晋也監督の『野火』と同様に、日本映画がつくられる現状からみても、この作品の示す意味合いは大きく重い。ふたたび劇場で、より多くの新しい観客に評価されることを願って止まない。
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