GK

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカのGKのレビュー・感想・評価

4.2
もはや何作品目かわからなくなってきたスパイダーマン(の新作を観るために必要な前提作品鑑賞)チャレンジ。

終わりなきMCUとの戦いに少し飽きを感じ始めていたところに出てきたのが『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』。
この作品によって、アベンジャーズシリーズは深みを増したと思う。傑作だった。

本作はこれまでのアベンジャーズシリーズのようにド派手(で動機が浅い)悪役は出てこない。
悪役は最初から最後まで地味で、「アベンジャーズ(キャプテン・アメリカ派) vs アベンジャーズ(アイアンマン派)」の戦いがメインとなる。
そして戦いといっても、物理的なぶつかり合いだけではない。異なる正義感のぶつかり合いがメインとも言える。

キャプテン・アメリカ(スティーブ・ロジャース)は国家、あるいは国連のような世界的な組織を信用していない。
それらの組織も誤ることがあり「自分たちの正義に従って行動した方が世界は救われる。傲慢かもしれないがまし」というスタンスだ。
元々彼は軍人で国家に忠誠を誓う立場だったはずだが、数々の戦争、戦いを通して、そういった考えに至ったのではないだろうか。
納得はできる。

アイアンマンはアベンジャーズも含め、個人を信用していない。
「個人が大きな力を持つことは危険であり、それは大きな組織によって制御されるべきだ」というスタンスだ。
アイアンマンことトニー・スタークの大本の考え方は全く真逆である。アイアンスーツを作ったのは「軍ではなく自分で悪を倒す」ためだし、彼は超自分勝手で個人主義だ。
ではなぜ力の制御の方に考えがいったかというと、本編で語っているように「アベンジャーズが戦うことで民間人に犠牲が出ているし、もしかしたらアベンジャーズ自身が悪を引き寄せているかもしれない」ということに気づいたからだ。
またそれまで自分勝手にやってきた自身の傲慢さのせいで生まれた「ウルトロン」が暴走したことも小さくはないだろう。
これも納得はできる。

さらに、結局最後は「正義云々」ということではなく「個人の感情 vs 個人の感情」になる。
最小単位の正義同士のぶつかりあいだ。考え方の違いの極地と言える。

つまり、それぞれにそれぞれの正義があり、どちらも間違っているわけではない。
アベンジャーズシリーズの中ではこの作品以前も仲間同士でぶつかり合うシーンは出てきたが、それが当たり前なのだ。
むしろ「世界を救うヒーローたちは皆考えが一緒」ということが不自然だと言えるのかもしれない。

メタな視点で捉えると、20世紀は「東西冷戦」、20000年代は「西洋vsイスラム」、二項対立で世の中が語られてきたが、そんな単純に語れなくなっているのが2010年代移行の世界だということだろうか。
それは考え方が違うのは、対立するもの同士だけではない。一見同じ考え方(例えば”正義”)であっても、そこには簡単にくくることのできない思想の違いというものがあるのだと思う。

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』の最後に、トニーがスティーブから手紙を受け取るシーンがある。
そこに書いてあることこそ、今後の世界に求められるスタンスではないか。
それは「違いはあれど、どう折り合うか(寛容性)」ということで、それを提示しようとしているのが『アベンジャーズ』シリーズではないか。


さて次はやっとMCU版スパイダーマンなわけだが、アベンジャーズシリーズがどう完結するのかの方に興味が移ってきている。
ぶつかりあう正義がどう団結し、正義を貫き通すのか。残り2作に期待。
GK

GK