S510

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅のS510のネタバレレビュー・内容・結末

3.4

このレビューはネタバレを含みます

再視聴記念。映画中にニュートが僕は人をイラつかせる、と言っていたが正にその通りだった。物語の展開上の都合とはいえ、簡単に法を犯してアメリカ魔法局も人間界も危険に晒すし、魔法生物を本当に大切にしているならそんな簡単に逃がすな、性質が分かってるならちゃんと対策しろ、そして逃がしてしまったなら自分で然るべき場所にちゃんと報告して捕まえることに専念しろ、と苛立ちばかりが募った。
ハリーポッター本編はハリーたちがまだ子どもで、未熟さ故のミスも許容できる物語になっていたけれど、ニュートは既にいい歳した大人で、魔法動物に対して責任がある立場なのに扱いが雑で全く好きになれなかった。
ティナに対してももっと上手く立ち回れるだろうにという呆れを覚えるし、上司の無能さは言わずもがなで、ラストもマグルの記憶を消して破壊された街並みを修復すれば全部元通り万事OK!みたいなお気楽さに非常にガッカリした。マグル側に死者が出ていることをどう考えてるんだコイツらは。グリンデルバルドが現在の魔法局を潰したい気持ちが理解できてしまうし、マグル側が魔法を忌み嫌い魔法界と全面戦争を辞さない考えになるのも当然の流れだよ、と思ってしまった。
映画全体としては、キャラクターの紹介を行いつつ続編への伏線も含め上手く纏まっていたように思うので、2以降は登場人物が多すぎて物語の整理が付いていないんだなと改めて感じた。ニュートの魔法生物の模倣は1からのお約束事なのかと思えば、3での行動はそういうものとして呑み込むべきなんだろう。杖を傘代わりにするアイディアは素敵だった。
ジェイコブとクイニーは好きなキャラクターだけども、正直ダンブルドア先生がジュード・ロウで、グリンデルバルドがジョニー・デップでなかったら、続編を映画館で観ようとは思わなかった。

↓再視聴した結果そんなことは全くなかったが、二フラーの見た目だけは本当に可愛い。
主人公が何をしたいのかが分かりにくくて、導入がもう少しどうにかならなかったのかとは思うが、二フラーの可愛さで全て許される。
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