中学生の壊れやすい気持ちがよく描かれている。
子ども一人一人の孤独感や苦悩が順々にフォーカスされていくところが映画を観やすしていて良かった。
自分が中高生の時にSNSが発達していなくて良かったなとつくづく思う。
以下、教師として感じている事を述べる。
中学生以下の子どもにスマホを持たせようとしている親はよく考えて欲しい。
スマホは子どもの表現力を殺す凶器である。
言葉を失い「◯◯に困っているから、助けてほしい」というSOSを出せなくなる人間が育つからだ。
教師としてそんな子どもを何人も見てきた。もれなく全員スマホを持っていた。
その人間が、そのまま社会に出ればどうなるだろうか。
上司に仕事の相談ができない、自分の考えを言葉に表せられない、パートナーに生活上の不具合を伝えられない…
幸せとは遠い世界で生きることになるだろう。
果たしてスマホには、それほどの価値があるのだろうか。
変死した女子生徒も「言葉」を持っていればその孤独を誰かに伝えられた。
男子生徒3人も「言葉」さえあれば、モヤモヤした気持ちをその瞬間に先生や警官に伝えられた。
言葉というのは相手に伝えることが重要なのではない。
言葉にすることで自らの考えや気持ちを整理するための道具である。
生きる上で欠かせない道具を持っていなかったがために、こうなってしまったのである。
実に悲しい。無知な大人も共犯だ。