バニキ

シン・ゴジラのバニキのネタバレレビュー・内容・結末

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
2.8

このレビューはネタバレを含みます

『シン・ゴジラ』観ました。見たかったのはコレじゃない感ありあり。まずゴジラの造形に関してはアリだと思うし、”怖さ”とも随所に出ていた。だが、その怖さがただの”恐怖”にとどまっているのが非常に残念。『ゴジラ('54)』も恐怖を前面に打ち出した作品ではあったが、古生物学者の山根博士(志村喬)のセリフを通して”生物としての稀少性”もしっかりとアピールされ、一種の尊敬のような”畏怖”としての怖さが演出されていた。ただ、今回は「アイツは人知を超えた存在だ。」といったセリフが用意されたり、初期段階で捕獲が検討されるシーン(すぐ却下になるが)が用意されてはいるものの、矢継ぎ早に繰り出されるセリフとカット割りの応酬で、それに全く説得力を感じないし、そこからくる畏怖も感じない。これはそのような演出に問題があるのではないだろうか。今回のゴジラは人知を超えた進化をしてきたとはいえど、いわば人間にとって”駆除しなければならない害獣”にとどまっている印象を自分は拭いきれなかった。実際、最終的には人間が勝つし。”God”でありKing of Monsterであるゴジラが、そう簡単に倒されていいのだろうか。(一応凍結しただけではあるが…)まだ一昨年公開された『GODZILLA ゴジラ』の方が、ゴジラという存在に対するリスペクトがあったし、畏怖の念がしっかり存在していた気がする。(ゴジラの出番は少ないが…)怪獣=人類が乗り越えるべき存在という考え方は、『GODZILLA('98)』でも描かれていた非常に陳腐な内容である。これだと酷評された本作と何ら変わらない気がした。怪獣映画なんだから主役は怪獣なんだ。人間が主役になってはいけない。その点、『シン・ゴジラ』は政治劇にウエイトがかかり過ぎている印象だし、ある種のディザスタームービーだろう。リアリティの追求からあのようなスタイルになったのだろうが、ならば石原さとみの役柄や、変人だらけの巨大不明生物特設災害対策本部のメンバーなど、浮世離れした人物をわざわざ登場させた意味はあったのだろう
か。全体としてそこが散漫な印象を受けてしまい、せっかくのシンゴジラも映えない。そんな感じだった。結局は庵野秀明氏の今作も、北村龍平氏のFWと同じで、”究極のオタクが自分の撮りたいゴジラを撮りたい様に撮った”んだろうなと。でもゴジラというアイコンを映画化するに際して、あまりに”自分の色”を出し過ぎるのは個人的にはどうかと思うんですよね。だから、北村氏のゴジラではそれが万人に受け入れられにくかった”オタク性”で、庵野氏のゴジラ、もしくは作品全体を通して語られる今の日本という国家、そして日本人像(つまり作品のメッセージ性)が世間が求めているものに近かったから評価されてるのかと思ったりした。自分はこの両作品にさほど違いはないと思うし、どちらもコレじゃない感はある。なぜなら”ゴジラ”というアイコンは、人それぞれによって抱くイメージが違うから。自分はゴジラ=怪獣王→神と解釈していて、平成シリーズとハリウッド2作目で描かれたイメージをかけ合わせたような感じでゴジラという存在を解釈している。その点、シンゴジラには”何か得体の知れない気持ち悪さ”を覚えてしまい、ゴジラに感情移入できなかったのが痛い。やはり”怪獣”映画なのだから、”巨大不明生物”じゃしっくりこないし、主役であるはずの怪獣の意図がイマイチ読み取りにくいのは致命的だと思う。その点、初代は今作のスタンスに近いのだが、今作でのシンゴジラの進化や能力、そして妙にオカルトチックな暗喩がどうも好きになれなかった。しかし前述したように、各々が抱くゴジラへのイメージがゴジラシリーズの作風のように千差万別である以上、それは仕方ないことだし、私も気に入らないだけで、作品の魅力は理解できるし、正直なところ困惑しているんです…だから今後も何回か劇場に足を運ぶでしょう。
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