がみおー

シン・ゴジラのがみおーのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
4.7
現実 対 虚構
というのがこの作品のキャッピコピー(のひとつ)であるが甚だ疑問だった。確かにゴジラというのは空想のモンスターであるのだが、これまでの劇場作品において基本的には「舞台は人間が文明を築いた地球であり、その現実世界にゴジラが現れた」という前提で撮られているはずだ。いわばその作品の中では現実に存在するモンスターである。
まーた広告会社がスポーツ新聞感覚で目さえ引けばいい適当な見出し作ったのかと相変わらずの邦画コンプレックスを炸裂させながらそんな事を思っていた。

また、この作品に対しての私の期待値というのはかなり低かった。国産ゴジラが再び観られる、その事実に喜びはあったが上記の通り私は邦画コンプレックスである。今の邦画業界でゴジラが撮れるのだろうか。
庵野さんと樋口さんのコンビで製作されるという初報を耳にした時、頭に浮かんだのは「巨神兵東京に現わる」。内容はともかくあの職人たちの自己満足で構成されたいわば特撮デモのような映像を見た時に現代の日本での巨大特撮の可能性をまだまだ感じられたし、この2人ならば間違いはないだろうと感じていた。
しかしこのシンゴジラを前に樋口監督が放ったのはあの悪名高き実写版進撃の巨人である。特撮の造形は評価されていたものの蓋を開けてみれば現代に溢れかえっているただの駄作邦画(しかも漫画の実写化)でしかなかった。あの樋口監督が携わってもこの邦画業界というのは一部の権力に載せられてコンテンツを駄目にしていってしまうのか。このようではシンゴジラも…と思ってた矢先に主要キャストの被りである。なるほど、同じ流れで作るのか。それはそれで何も悪い事はないのだが如何せん同じ流れを汲むべきでない作品なのは明らかであっただろう。不安に不安が重なっていった。

またゴジラというのは一概に名作ではない。勿論人によって好みはあるだろうが色々な声を聞いている限りでは初代、モスゴジ、初代メカゴジラ、ビオランテ、デストロイヤー辺りが絶賛されているイメージである。それ以外は全て、というわけではないが微妙なのもどうしようもないのもある。つまり仮にダメダメのゴジラが世に送り出されたとしてもそれはゴジラとしてゴジラの歴史に残される。そう考えると大した話ではないかもしれないが、今は糞をひり出し続けようがイケイケドンドンの時代ではないのだ。邦画業界における映画の製作規模は上がっていく兆しもなかなか見えないし、反対にマーベル作品を筆頭にハリウッド作品においては間違いなく現在映画ブームは起きている。更にアメリカの方はしっかりエメリッヒ版からの反省を活かしたゴジラを産み出したし、続編も決まっている。ハリウッドゴジラのブランドも生まれたのだ。つまり今回のシンゴジラというのは邦画業界及び日本のゴジラブランドの意地がかかっているのである。FW以降何年も作られていなかった国産ゴジラがようやく復活、更に巨大特撮に理解のある制作陣を呼んで、それでもダメならもう本当にこの国でゴジラを作ることは二度と出来ないのかもしれない。それぐらい切実な問題なので、個人的な期待値こそ低かったものの何とかいいゴジラ映画になってますようにという願いはまさしく本物だった。


そんなこんなで思うところもありながらも上映開始日、初回は逃したものの何とかネタバレを見る事なく自分の目でこの作品を見届ける事ができた。
よかった!ネタバレになるので話の内容については触れないが、日本はまだゴジラを作ることが出来る、この国のゴジラブランドは守られた…そう安心させられた。

これはゴジラをベースにした庵野作品というのが妥当だろう。合う人合わない人これもまた分かれるだろうがこれもまた新しいゴジラのタイプの一つであろう。
今回のゴジラはCGと実写の合成によるものだが映像表現も敢えてSFXを思わせる様な撮り方であったり、道具は変われど巨大特撮のノウハウはしっかり活かされてるように感じた。


じゃあ結局のところ現実対虚構って何、という話だが、「現実」に関してはパンフレットで解説されている通り我々人間たちであり、今作はゴジラ以外に対しては徹底的にリアリズムを追求している。例えばこの現代にゴジラが現れたとして、武器1つ使用するのにも複数の組織内で伝言ゲームのように許可を取っていかなければならないし、ゴジラへの対策を講じる為の法律を新規制定したり既存のものを改定したりする必要がある。予告編にもある通り、言わば「ゴジラvs日本政府」みたいなものなのだが、私のように政界及び政治関連に詳しくなかろうが「あー、現実でも何となくありそう」ぐらいのニュアンスとして受け取ることが出来る。

虚構に関しては手元に資料がないため完全に推測の域を出ないが、とにかく今作のゴジラの個体は異質さを強調している。異質であるが故に、もはやそれは「ゴジラの形をした何か」なのかもしれない、と私に思わせる。
虚構とはフィクションである。フィクションとは作られたものである。もしかすると、このゴジラは「何か」が偶然ゴジラとして形成された成れの果てだったりするのだろうか。。。


とにかく今回のゴジラ、様々な層の人達が観て、それぞれが自由に思いを馳せていってほしい(謎の上から目線)ゴジラは色んな意見が出てなんぼのコンテンツだから。