ぐっち

シン・ゴジラのぐっちのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
4.9
シン・ゴジラを書く前に初代ゴジラについて考える必要がある。

初代ゴジラが有していた作品の特徴は①カリカチュア②哲学③畏怖であったと考える。初代ゴジラはこの三要素を完璧に備えた作品だった。
だからこそ、この初代ゴジラが有していた三要素を、自分自身の中で、その後のゴジラシリーズ作品を評価する軸としてきた。

カリカチュア。ゴジラが登場する「日本」は、日本のように見えるが、日本ではなく日本の鏡像である。ゴジラが現れた国の政府がどのようにして国民を守ろうとするのか?自衛隊の戦力とは如何ほどなのか?鏡像を通して自分たちの国が置かれている現実を知ることができる。ゴジラが現れる国にとっては対ゴジラ政策は立派な安全保障上の問題なのだ。初代ゴジラはそれを存分に有していた(政府に詰め寄る国会議員役は菅井きんさんであった)。

哲学。ゴジラが持つ根本原理とは、やはり「核」という問題であり、人間と核との関係性を抜きにして語ることはできない。戦後まもなく上映された初代ゴジラはただ怪獣が暴れるといった特撮エンターテイメントではない。戦争のレクイエムであり、核武装を強める各国に対して鳴らす警鐘であったはずだ。ビキニ環礁の水爆実験に端緒を持つゴジラはまさに核時代の申し子であり、ゴジラシリーズが有する哲学性とは核や核兵器とは切っても切り離すことができないし、そこに作品としての奥行きが持たされている(ただし、2作目以降のゴジラは昭和元禄に踊らされたのか「シェー」のポーズをしたりと何でもありだった。それはそれで面白いのだが・・・)。

畏怖。ゴジラが発する畏怖。これは大切だ。とにかくゴジラは怖いのだ。映像なのに「あぁもう駄目だ。この世が終わってしまう」とあきらめてしまうほどだ。何度その恐怖に打ちのめされてきたことか。平成ゴジラに入ってからは目つきが戻ってきた。ビオランテとの攻防など、もうやめてくれと思うほどだった。

そして話を戻すと、シン・ゴジラ。初回に観に行ったあとは、ただ打ちのめされただけ。「これはあかんやつや・・・」と感じるのが精いっぱいだった。でも三要素に照らし合わせてみた場合、すべてを満たしているのは間違いない。しかし、超越し過ぎてしまった。これはシン・ゴジラのスタッフ陣の初代ゴジラに対する尊崇の念から生まれた結果である。シン・ゴジラはまさに超えてはいけないところに入ってしまったのだと思う。なので作品そのものの感想は語るに語り切れないし、まとまらない。あと何回観に行けばいいのだろうか・・・

【鑑賞の記録】
2016.8.13 TOHOシネマズ梅田
2016.8.20 イオンシネマ四條畷

※DVD購入
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