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疑わしき戦いのpapapaisenのネタバレレビュー・内容・結末

疑わしき戦い(2016年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

骨太な良作。ジェームズフランコっていろんな顔で演じれられるし、監督も出来るねんなぁ。いい大学出身らしいしすごいなぁ。
以下引用
良質な作品だった。
アメリカの高名な作家・スタインベックの小説を原作とした映画なわけだが、本作で監督と主演を務めたジェームズ・フランコは、幾つもの有名大学で文学を学び、修士号まで持っているという文学に造詣の深い勉強家。当然この小説に対しても、知識や理解や愛着は深いのだろうと期待して観始めた。そして、その期待を裏切らない内容だった。テーマ、ストーリー展開、情景、音楽、俳優の演技力、どれをとっても質が高い。意義のある映画を観られた、そんな満足感と共に本作を観終える事が出来た。

舞台は、まだ労働者に正当な権利が認められていなかった時代。彼らは悪質な労働環境乃至住環境の中で重労働を課され、挙句の果てに賃金を1/3にカットされる。これでは、当然暮らしてゆけない。然し雇い主のボルトンは言う。「私も心苦しい。だが君たちは、働ける場所があるだけマシなのだ」。
果たして、本当にそうだろうか? そりゃあ、稼ぎが全く無いよりは、あった方がマシと言えば言えるだろう。でもだからって、不況を利用してこちらの足元を見て、"金を貰えるだけマシと思え"なんて、卑怯な言い分だ。そしてもしその言い分を呑むなら、労働者ははした金と引き換えに、人としての自由や幸福や尊厳を売り渡す事になる。勿論、それは割に合わない。
そんな労働者達を、ある意味で焚きつけたのが、マックとジムである。彼らは本来、労働者というよりは活動家だ。社会の仕組みに疑問を持ち、一人でも多くの民に正当な権利を齎そうと労働運動に励む活動家。一見、怪しげな過激派に見えない事もない。が、物語が進むにつれ、二人は本当に社会に憤っていて、滅私の意気込みで世の中を変えようとしている、見上げた根性と情熱の持ち主であった事がわかる。農園の労働者達は彼らに扇動されたとも言えるが、目を覚まされただけとも言える。

斯くして彼らが敢行する事になった「戦い」。とはいえそれは、ストライキという形の、あくまでも武力を持たないものである。
昔、フランス人の学者ブレーズ・パスカルが言ったこんな言葉がある。「武力なき正義は無力であり、正義なき武力は暴力である」。その伝で行くなら、マック達の戦いは前者で、ボルトンらの反撃は後者という事になろう。圧倒的な武力や権力を前に、マック達の抵抗の何たる非力な事か。断っておくけれども、私は非暴力主義且つ平和主義であるので、武力に頼る戦いには不賛成だし、武力なき正義が必ずしも無力だとは思わない。然しながら、物理的な問題として、武装勢力に対して非武装勢力が敵わないケースはままあるんである。
元雇い主に反撃され、襲撃され、中には命を落としていく労働者もいる。1ヶ月以上もストライキを続ければ、疲労にも絶望にも襲われる。そんな中でも理想を曲げない事、希望を捨てない事は、途方もなく難しい。その事が、本作を観ているとひしひしと伝わってくる。何しろマック本人でさえ、あまりの前途の不確かさに、焦燥と動揺を見せていたのだ。
それでも、最終的に労働者達の団結が決壊する事は無かった。これはネタバレではないと思う。何故なら彼らが挫けなかったお蔭でその後労働環境が整えられた事は、後世を生きる私達には周知の事実なのだから。惨い目に遭い、多くのものを犠牲にしても、大半は踏ん張り続けた彼ら。その姿に、月並みな事を言うようだけれど、すっかり感動してしまった。更にもう一つ月並みを言わせてもらうなら、勇気ももらった。社会を構成しているのは、他の誰かではない。世の中を作ったり変えたりしていくのも、他所の誰かや彼らや彼女らではない。自分達なのだ。それを忘れてはならないと、今日私は胸に刻んだ。

なお本作の原題は、「In Dubious Battle」。Dubiousの部分を、邦題では「疑わしき」としているが、これには少々首を傾げる。in a dubious battleならその邦題でも良いかもしれないけれど……in dubious battleはそれ全体で一つのイディオムで、なかなか勝敗のつかない戦いとか、接戦といった意味の筈。第一、正義を求めるマック達の戦いに、疑わしい点など何一つない。或いは、大人の事情で原作小説の邦題をそのまま引き継がざるを得なかったのかもしれないが、いずれにせよ、英断とは言い難い。
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