No.3510
このような映画を、どこまでも紳士で誠実で、ジェンダー問題等に関してもオピニオンリーダー的な監督が撮っているなら意義がある。
しかし、実際は真逆で、
女性を性的に加害していた疑惑を取り沙汰されている監督が撮っていたら何の意味もない。
自分の頭の中の妄想や欲望や性癖を、現実の俳優を使って映像化しているだけである。
これほど恐ろしいことはない。
===================
『園子温のいない映画史は成立するのだろうか』という一文が、大手新聞のコラム欄に掲載されたそうである。
こういう文章を書く人の頭の中には「被害者」という概念がないらしい。