これはヒトラーを「正しく」恐れるための映画ではないし、彼をNSDAPに反抗したからといって、英雄と祭り上げるようなやり方は「正しい」恐れ方ではないような気がする。
主人公は「自由を愛している」とは言うけれど、ただ飽き性で奔放なように思える。女好きとかが本質ではなくて、何も続ける事ができない人。だから縛られる事から逃げて、自由を自称しているようにしか見えない。
ヒトラーが首相に選ばれたのは理由がある。実際、ほとんどの国民にとって良い時代であったと聞いている。社会保障も娯楽も充実していたはず。ヒトラーを愛する人が多い中で暗殺してしまうのはどうなのだろうって考えてしまう。
ユダヤ人の大量虐殺にしても、自分たちに当てはめて考えると起こる気持ちがわかるかも。ユダヤ人は社会的地位の高い人も多かったけれど、国を追われて逃げてきたため、浮浪者・難民も多い。日本人が難民受け入れや外国人雇用数を増やすのを恐れ、トランプ元大統領が難民受け入れを拒んだ事を見れば、嫌悪感は何となくわかる気がする。
「ヒトラーは酷い人物だから恐ろしい」と恐れ続けるだけでは、すぐに次のヒトラーが生まれてしまわないかずっと心配。