YokoGoto

光をくれた人のYokoGotoのレビュー・感想・評価

光をくれた人(2016年製作の映画)
3.8
<夫婦という極めて閉鎖的な人間関係を、閉鎖的な無人島の灯台守というメタファーで構成されているような物語>

『自分を刺激した映画10選』をあげるなら、必ず入る映画『ブルー・バレンタイン』。きしんだ夫婦関係をライアン・ゴズリング主演で描いたデレク・シアンフランス監督の長編デビュー作である。

その後、2本の長編映画を世に出しているが、この監督の作品は、すべての作品において、映画ファンに一定の評価をされている所がすごい。
本作は、そのデレク・シアンフランス監督の最新作である。

なんと、マイケル・ファスベンダーとアリシア・ヴィキャンデルを主演に迎えた夫婦の愛の物語である。

これほどまでに、論評したくなる映画も珍しい。
細部に渡って評価したくなる映画であり、流石に一定のクオリティを放つデレク・シアンフランス監督作品だと思う。

まず、何よりも(主演の)妻役のアリシア・ヴィキャンデルの演技が素晴らしい。こんな芝居ができる若手女優って、そんなにいない。
彼女の魅力は、置かれた役柄に完全に乗り移る事だ。

彼女の演技の幅の広さを感じたのは、デビュー作『ピュア』しかり、エディ・レッドメインと共演した『リリーのすべて』しかり。
すべてにおいて、彼女の演技は大きく評価できる。

特に、本作で観て欲しいのはアリシア・ヴィキャンデルの哀しみの表現や怒りの表現である。
泣き方のバリエーションはもちろんのこと、感情がこみ上げてくる表情は、こっちまで泣けてくる。また、怒りに震え、坂を駆け下りてくる走り方は、怒り肩で全身で怒りを表現する。(細かいけど素晴らしい)

こういった、細かい演技の積み重ねは、その映画に生きている主人公を、よりリアルなものにしてしまう。(これは、日本の女優さんも参考にすべきだと思う)

そして、監督が仕掛けた細かな気の利いた演出も良い。
例えば、前半のマイケル・ファスベンダーとアリシア・ヴィキャンデルの軽いキスシーン。夫婦になったばかりの2人のしとやかなキスシーンでは、2人がKissのタイミングが合わず、ちょっとぶれた動きをする。

キスをする時に、必ず右頬を傾ける、左頬を傾けるといった、台本に書かれたようなタイミングにはならない。こういう細かい演出が、要所要所に盛り込まれていて、とても自然な世界観が心地よかった。

あとは、映画『ブルー・バレンタイン』でも素晴らしかったが、恋人同士のイチャイチャ感の表現が上手い。この残酷なまでにキラキラした恋の描写がラストにかけて効いてくるから、この監督はすごいのである。

そして何より、『ドラマ性の高さ』はデレク・シアンフランス監督さながらなのだと思う。ドラマ性が高いため、2時間強の尺があっという間である。
じんわりと行間を読むようなテンポを保ちながらも、圧倒的なドラマ性の高いという事は、エンタメ映画の基本である。シナリオにも矛盾も無理スジも無く、非常にスマートであったのも素晴らしかった。

ただ、前半〜中盤までの盛り上がりにくらべ、ラストは、もう少し膨らませてくれても良かったかな...という物足りなさがあったのが残念。それと、夫のマイケル・ファスベンダーの戦争でうけた心の傷の表現が、若干、不足してた感じが否めなかった。

さて、本筋のテーマおよび内容である。
これは、ネタバレに触れずに語るとすると、とても閉鎖的な夫婦の姿から、抽象化された愛の本質を取り出す物語であると思った。

とにかく、夫婦関係とは閉鎖的なのだ。
普段は、みなそう感じてはいないだろうが、実に閉鎖的である。
相手の価値観と自分の価値観は全く違うばずなのに、どうしても、延長線上に観てしまう。そこに起こるのが、様々なゆがみである。

ゆがみは、小さなものから大きなものまであり、そのゆがみと折り合いをつけながら夫婦として生きていくのである。
このゆがみは、デレク・シアンフランス監督のデビュー作である『ブルー・バレンタイン』も表現されていたものである。壊れていく場合と積み上げ直す場合と、夫婦のゆがみの乗り越え方は様々だ。

閉鎖的な空間という意味では、無人島の灯台守という設定、第一次世界大戦後という時代背景にもあらわれている。現代劇でも描けたテーマなのに、時代背景を戦後にしたのは、より閉鎖的であることや逃げ場の無さを表現したかったのだろうと思った。(現代の設定だったら、大分ディテールに無理があったはずだが、戦後なので、その無理スジもなかった)

あともう一つ書いておきたい事がある。この物語がもつテーマという意味では、ちょっとだけ気がかりな事があった。

この妻の気持は、『(映画を観た)男性がどこまで共感できただろうか?』という点である。実に身勝手でエゴイズムと思われてしまうだろう妻の行動を、男性は理解出来ただろうか?

『なんでそんな事をしたのか?』

男性においては、理解はできるが共感はできないという人が多かったのでは無いかと、私は思った。

しかし、ここがまさに、閉鎖的な夫婦関係が陥るブラックホールなのである。女性にとって子を宿すということは、こういうことなのである。理性では片付けられない、DNAに組み込まれた『執着』という種の保存を叶える感情なのである。

ジェンダーという言葉では事務的すぎて言い表せない、もっともっと遺伝子が仕掛けた罠のようなものであるのである。

そんな事を考えずにはいられない。

ある意味、子どもという存在を超える夫婦のつながりとは、どこまで実現可能なのだろうか?これこそ、男と女しかいない、この世が乗り越える大命題なのかもしれない。
それを、『ブルー・バレンタイン』では、かなり手厳しく、そして本作『光をくれた人』では、やんわりと愛で包みながら、デレク・シアンフランス監督は観客に語りかける。
YokoGoto

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