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光をくれた人のsanbaasanのレビュー・感想・評価

光をくれた人(2016年製作の映画)
3.9
度重なる流産に深く傷ついていた孤島の灯台守夫妻が、
ある日ボートで島に流れ着いた赤ちゃんを我が子として育てるも、数年後に本当の母親が二人の前へ現れ、
良心の呵責に苛まれながらも罪を告白した夫、
それを許せない妻、
娘に愛情が受け入れられず苦しむ本当の母と、
大人の事情に振り回される娘、
それぞれがもがき苦しみ、たいせつなものに気づき、前に進もうとする話。
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本作最大のプロットポイントである、
赤の他人の赤ちゃんを自分たちの子として育てようと夫婦が決断する場面に、どこまで感情移入できるかで、この映画の評価は分かれるのかなと思います。
正しいことをするべきだ、すぐ本土に報告するべきだと主張する夫に対し、
この子は私たちがいないと生きられない、自分たちの子として育てようと譲らない妻。
理性的に判断すれば夫の主張が正しいのは明らかなのに、妻の考えが過っているのは明らかなのに、
2度の流産で深く傷つく妻の姿を誰よりそばで見てきた夫は、妻の願いを受け入れてしまう。
この、妻の子に対する狂気すら感じる執着を、理性を凌駕する圧倒的な母性を、どこまで自分の感情として分かち合えるか。
このあたりが、「より女性向けの映画」と巷で言われている所以なんだろうな。
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ここから物語は報われるはずのない結末へ向かって歩を止めないわけですが、
この物語の美しく、それゆえに悲しすぎるところは、悪人はひとりとしていない、というところ。
皆がみんな、自分のたいせつなものをたいせつにするのに必死で生きている。
正しくてたいせつなことはもちろん、
たとえそれが間違っていても、たいせつなことは、ある。
そこに悪意はない、でも間違いや過ちは正当化されない、それ自体、人間が背負ってしまったどうしようもない業とさえ思えてしまう。
それゆえに我々受け手は、このやり場のない感情と自分の中で折り合いをつけるしかない。
(そしてそんなものは容易くつけられるわけがない苦笑)
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そこに差し込まれた、
物語を全編にわたって突き通す一筋の光が、
とある人物の残した言葉
「一度だけ赦せばいい」。
恨み憎み続けるには四六時中ずっとそのことを考え続けなければならない、そんなの疲れる、
でも、一度赦すことさえできれば、あとはどんなに晴れやかで幸福だろう、と。
赦すとは、無償の愛だ。
何があっても失われない、希望の光だ。
と、ここで本作のたいせつなモチーフである「灯台の光」、
そして邦題の『光をくれた人』につながることに気づくわけです。
よく練られた脚本に、はたと膝を打たずにいられません。
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灯台は、どんなに遠く離れていても、人が険しい海で迷ってしまわないように、帰るべき場所としていつも光を発しているところ。
つまり、光をくれる人とは、
どんなに遠く離れていても、無償の愛でもって手を振ってくれる存在。
“生きる”という旅でいくら迷ってしまっても、
誰かの愛が道標になる。
自分をあたたかいところへ立ち戻らせてくれる。
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善悪の彼岸なく平等に照らし導いてくれる美しい光の後ろに、各々が自分にとっての『光をくれた人』の存在を認める。
そういう風に、僕はこの映画を観ています。
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