このレビューはネタバレを含みます
この映画ダメダメ……ぜんぜんself-standingじゃない
いろんな仕掛けや人物設定がバッティングしてないので、この映画だけではなにがしたいのか全くわからなかった。
オサム君ちの夜逃げは、前半の「ゆるふわガール(笑)」の流れを完全に断ち切って、一気にこの映画をsocio-economic な磁場に立たせる(というか、この映画の本質は社会派映画であることを大々的にオーディエンスにバラす)決定的な場面の筈である。しかし、このエピソードが映画の中でちゃんと生きてるとは思えない、、、ずっこけてしまった。。。。。
マリとオサム君の恋愛がうまくいかない理由は、ただ一つ、社会的経済的格差。オサム君はそれを理解してるけど、マリお嬢さんは、ぜんぜん分かってないで、とことんトンチンカンである。
カキ氷屋に一番お客が入ったのは、オサム君が呼び込んでくれた時である。大人の男が5、6人。
マリひとりでは、親や、小学生のガキどもくらいしかお客をとれない。
マリは親の経済力のおかげで、東京の大学行って一人暮らしできて、好きなことやりたい放題やって、おまけに、固定資産税も家賃も払わずに済む、3食ご飯付きの住まいがある。
一方、オサム君は、島から出ていけない。大学に行けなかった。今度は家さえ手放さなければならない。
そんなオサム君へのマリの一言「逃げるなよ!!!!!」
には、オーディエンスはイライラした筈だ。
しかし、そんなマリを完全に突き放すように描かれているかというと、そうでもない。完全にマリに寄り添って描かれている訳じゃないのは確かだけれど、この「社会的に恵まれた人間」に対する、この映画の中途半端な態度はなにを意味するんだろ。。。。。
いちばん分かんないのは、ハジメちゃんの役割。「マレビト」である彼女は、一体この土地にどんな変化をもたらしたんだ………? クリアになってない。
なにが言いたいんだ、この映画は。。。。。
ていうか、原作読んだ方が良いかな。
もうちょっと考えてみる。