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Notre jour viendra
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『Notre jour viendra』に投稿された感想・評価

Blu-ray (Optimum Home Ent.). 英語字幕付き。赤毛の青年レミーと同じく赤毛のセラピストのパトリックの異色のロードムービー。内気で従順なレミーは、チャットはできるものの、女性とのリアルな関係に入ってゆけない。ある日、一緒に住む母親と妹に抑圧された感情を爆発させて家を出る。そのレミーを助けるのがパトリック。セラピストとして、レミーを助けようと、ショック療法を試みる。インターネットポイントでチャットで関係し始めた女の子に会うように進めるのだ。ところがレミーは、その場にいた若者たちにコケにされて終わる。

こうしてパトリックとレミーの旅が始まる。女の子をナンパし、夜のショッピングセンターで酒を飲み、ボウガンを手にし入れ、ホテルで偶然言わせた旅行者とオルギアとなるが、パトリックは堪能するものの、レミーはうまくゆかない。あげくホモセクシャルかもしれないとまで追い込まれてゆく。

セラピーを続けようとするパトリック。セラピーを受け入れようとするレミー。同じ赤毛の二人に生まれた不思議な信頼関係はやがて、同じ赤毛を剃り、同じ暴力に訴え、同じ目的に向かうという共犯関係へ。

目的はアイルランド。なぜか?赤毛の幸せな家族のポスターを見た。それだけの理由。でも、目的なんてそれ以外に何が必要なのか。偶然じぶんと同じ赤毛が幸せにしているのを見ただけで、すくなくともこの二人には十分になっていたといわけだ。

こうして荒涼とした郊外の工業地帯をカレー港へと向かう二人。レミーは銃で撃たれている。傷の具合は定かではないが、出血が続いている。しかしフェリーは明日の朝までない。パトリックが気球を見つける。飛べば良い。気球を強奪すると、そらに舞い上がる二人。

タイトルの「おれたちの日が来るだろう」は、アイルランド語の「Tiocfaidh ár lá」(Our day will come)から来たものらしい。これはイギリスに抵抗するアイルランドの共和主義者たちのスローガン。その国の旅行パンフレットに赤毛を見て、あこがれるというわけだが、ここには人種差別的な含意を読み取るべきなのだろう。

べつに「赤毛」でなくてもかまわない。人種が違うんだという恣意的な決めつけがあればよい。たとえば『ホテル・ルワンダ』(2004)に描かれたフツとツチの対立。このふたつの部族の差異は歴史的なものなのだけど、その起源にはアフリカの植民地化の問題があった。西洋人たちは、現地の人々で「痩せ型で鼻の高く長身な」「肌の色が比較的薄い者」を北方から渡来した「ハム系民族」(ツチ族)として、そうではにものを土着のフツだと分類したことに起因しているのだ。このいい加減な「ハム仮説」がいつの間にか信憑性を帯び、民族浄化のような大虐殺を引き起こしたわけだ。

またロマン・ガブラスがこの映画のインスピレーションを得たのは、スリランカの内戦らしいのだが、これもまたイギリスの植民地政策の結果としてシンラハとタミルの人々に分断をもたらしたもの。英国はタミルの人々を紅茶のプランテーションのためにインドから強制移住させたのだが、これがシンハラの人々と対立し、やがて長い長い内戦へと至る。

ガブラスは、2010年にタミル系イギリス人のM.I.A.のミュージックビデオ『Born Free』(BDに収録されている)で、赤毛の人間たちが次々と逮捕され、処刑されてゆくというショッキングな映像を撮っている。赤毛の若者はもちろん、スリランカ内戦のおけるタミル人たちのこと。そしてこの作品は、そんなビデオクリップの延長線上にある。

だから、この映画はスリランカ内戦の寓話なのだが、スリランカだけではない。ムンバイにおける大虐殺もそうだし、ブラックライヴズマター運動のパラブルと読むことだって可能なのだと思う。

誰かに呪いにかけられとき、ぼくたちは、ただ髪の毛が赤いというだけで、残酷に処刑することができてしまう。逆に、自分だけが違うのだと、自分自身で呪いをかけてしまえば、自分以外の誰かに向かって、躊躇うことなくボウガンを放ち、ナイフを突き立て、ショットガンで撃ち抜くことだってできてしまう。

なんて世界なんだ。この世界の延長線上に『アテナ』(2022)があるわけか。