ケンヤム

山河ノスタルジアのケンヤムのレビュー・感想・評価

山河ノスタルジア(2015年製作の映画)
4.8
何か特別なことが起こるわけでもなく、ただただ、人生に翻弄されている人たちを描いた映画が大好きだ。

特別に不幸なわけでもなく、それなりに幸せで、それでも何かを求め続けてしまうのが人間だ。
求めるものが、お金であったり、恋人であったり、母であったり、自由であったりする。
それを手に入れることで、幸せになるかどうかなんて自分でもわからないのに、どうしても求めずにはいられない。
お金を手に入れることで、幸せになるとは限らないし、好きな人と結ばれることで幸せになるとも限らない。
そんなことは、分かりきったことなのに求めずにはいられない。


そういう人間の性質によって人は不幸になったり、幸せになったりする。
そういう人間の性質に人はよくも悪くも、翻弄されるのだろう。


「この国では、銃を持つ自由がある。けど、銃を撃つ相手がいない。自由なんてくだらない!」
大学を辞めて自由になりたいという息子に、父親はこんなことを言った。
なるほど。
自由がくだらないなんて、考えたこともなかった。
現代では、絶対的な正義とされている「自由」という概念も、手に入れたからといって、幸せになれるわけじゃない。
それでも、私たちは自由を求めずにはいられないのだろう。


悲しくて、切なくて、やりきれない。
それでも生きてくしかない。
そんな映画でした。
少し幸せになって、少し不幸になってこの映画は終わっていくのだけれど、この後母親も、父親も、息子も、学校の先生も少し幸せになれたりするのかなと思わせてくれる終わり方だった。
それに対して、炭鉱で働いていた友達は病気で不幸になったり、父親は死んでしまっている。
世の中には、絶対的な不幸を被ってしまっている人もいることも、しっかり描いているところが、リアルで良かった。
のどかな映画なんだけど、それでいて残酷で、感情がぐちゃぐちゃになるいい映画だった。


ハッピーエンドでもなく、バットエンドでもない。
人の一生と同じだ。
ケンヤム

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