吸血鬼の少年カイト(吉村界人)と幼なじみの少女レイ(金子理江)のラブストーリーに、愛する人を失った父と子が喪失を乗り越えるまでの道程が重なる。オーソドックスな物語であるが、それゆえに奇抜なキャラクターが少年と少女のまわりでにぎやかに飛び跳ねても、映画はぶれない。見た目とは違うシンプルな強さがある。ファンタジーだけども、出てくる人々の息遣いはリアルだ。
カイトの父親であるモンゴロイドがよい。その場にいるだけで絵になる人だ。こういう人がいるだけで、映画が引き締まる。
レイがカイトに煙草の火を貸す場面はまるでキスシーンのようで美しい。父への思いと血を求めてしまう自らの体質から敢えてレイを遠ざけたカイトであるが、心の中ではレイを思い続けている。二人の愛は音楽と光によってつながる。照明の光だけではない。煙草の火もまた光だ。
この映画の冒頭と最後には、Vampillia のメンバーであるミッチーの口上がついている。この口上でわかるのは、この映画が〈Vampilliaの楽曲をめぐる「本当」の話〉としてライブで上映されていることである。最後の口上のあとはそのままライブへとなだれ込む。そして、照明を操作するレイとカイトの姿が映される。つまり、現実と虚構の境界線を曖昧にする試みがなされているのだが、そのような仕掛けの必要性が感じられない。そもそも「吸血鬼と少女のラブストーリー」なんてフィクションに決まっているではないか。それをわかっているからか、ミッチーは最後の口上で「信じられないって? まあ、映画だからね」というような台詞を吐くのだが、そんなことを言わせるぐらいなら最初から「本当の話」という設定などいらないと思う。
酒井監督の商業デビュー作『はらはらなのか。』も現実と虚構との境界線を壊す試みがなされているようだが、果たして刺激的なものとなっているのか。期待半分、不安半分である。