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マネー・ショート 華麗なる大逆転のakqnyのレビュー・感想・評価

4.0
「人はものを評価するプロを求めているが、事実や結果に基づくプロは選択しない。選ぶのは親しい仲間であるプロだ。」という言葉が重い。

経済学では、人は常に合理的な選択をするという前提があるが、絶対にそんなことないのだ。
金融の世界は、将来の不確実なリスクを移転しまくって出来上がった大きな虚構だと思う。シンプルに言えば未来を予想して、それに賭ける(リスクを取る)。そしてあるものは得をしあるものは損をする。だれもがリスクを回避しながら得は得たいと思う。しかしながらリスクを取らなければ得もない。
そこでどうするかというと、取ったリスクを移転する。だれかがだれかのリスクを取り、またそれを誰かに移す。これが過剰に行われると、もうだれがだれのリスクをとっているのかわからない。

小学校の頃、皆が輪になってだれかがだれかの膝に腰掛けると、なぜか椅子もないのに皆が誰かの膝に座っていられる遊びがあって、なかなか感心したものだが、金融なんてそんなものだ。(正確にはさらにタチが悪いことに座る膝がなくても誰かがいるだろうと後ろを見ずに腰掛けるのが金融の世界ですが)
皆が座る位置に誰かの膝があると思うから大丈夫、逆に言えば誰か一人が倒れれば寄りかかっている皆が倒れる。そうやって一度座った誰かの膝をだれも疑わない。仮に別の人が外から指摘しても、聞く耳を持てない。

そうして出来たのがサブプライムローンに端を発する、実態と乖離した格付けと市場の評価。

金融は、この膝に座るゲームを世界の全ての人たちでやる。
普通にコンビニでクレカ決済する行為も金融の一部だし、先住民が互いに贈り物をし合うのも金融の一部?のような気がしている。だれもがだれかの膝に寄りかかって、あるいは寄りかかろうとして生きている。
だれもがそのゲームのプレイヤーになるということは、つまり一般の人たち、個別の取引に全く関係のない人たちを巻き添えにしてしまう。いつも金融危機は、全く関係のないはずの彼らの生活に一番大きな打撃を与えることはゆめゆめ忘れないでおきたい。

金融はだれかがいるから成り立つゲーム。だれかのお金(リスク)をだれかに渡すゲーム。それを扱う額が莫大に多いか少ないかの話で、当然額が大きいと経済全体に与える影響もデカいから。



それにしてもこの映画で、市場の実態に気づき、それが世界の終わりに賭けることだとわかっていても信じ抜けた人たちのメンタルヤバすぎるなと思う。
空売りは怖いというけれど、待つことがこんなに怖いなんて知らなかった。来るかもわからない救済を夢見て血を流しながらひたすら待つ怖さ。
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