YUKi

たかが世界の終わりのYUKiのレビュー・感想・評価

たかが世界の終わり(2016年製作の映画)
3.3
年齢だけ大人になって
家族に伝えられる自分の真実なんて
数えるほどにしか過ぎなくなった。

わたしはこの先、生きているうちに
何を話して何が出来るだろう。

‥なかなか勢揃いする機会のない
“家族”というものが集まると
こういう空気、確かにあるよなあと。

12年間も帰郷する勇気すら出せなかった 主人公が、
ごくごく個人的な身の内を 敢えて家族に告げることは
ひどく困難で、同時に身勝手でもある。
さらに言うなら図々しい行動でもあると思う。

ただ繊細さも過ぎて、
傷つけたくない、心配かけたくない、
どう接していいのかわからない、
なにが善意でなにが悪意になってしまうのか
混乱して身動きが取れなくなる気持ちも
とてもよくわかる。

それぞれの微妙な関係性や距離感を
センシティブに成り立たせてある会話劇なので
特筆すべき劇的な高揚感などを観せる
作品ではありません。

人物アップ多めのカメラワークが
それぞれのキャラクターの
些細な表情の変化や感情を常に投げかけてくるので
観ているこちらも切迫感と緊張が途切れず。

こういう局面で、状況をうまくかわしたり
空気を変えたりする器用なキャラクターが
ひとりもいない(!)ので、観ている側も
ギリギリの心理状態に。‥痛かったなあ。

唯一血が繋がっていない、初対面の義理の姉が
理解者であることも皮肉ながらとてもリアル。
お互いに感情をすぐに発散できるわけではない
“よそ者”の意識と性質がそうさせたんでしょうね。

鳩時計の使い方はとてもドランらしく、
主人公の感情のメタファーを 超えてしまうほど
細部にわたって丁寧な演出だったと思います。

エンドロールにまさかあの曲が飛び出すとは。
懐かしさに感極まり、
家に帰ってすぐCD棚を掘り返してしまった。

前作「Mommy」が “動” の作品だとすると
今回は完全に “静” の構成。

なにも起こらないのに
あらゆるシーンで自分にも思い当たる感情が湧き
サスペンス並みの集中力で見守る、そんな作品。

今更ですがグザヴィエ・ドランの世界観って
美しさに反しての生々しい描写も、選曲の絶妙さも
すべて含めてキャッチーすぎないバランス感覚に
とんでもなく長けていると再認識しました。

とりとめのない感想を書き散らかしておいて
何なんですが‥いちばん言いたいことを
はっきり申し上げますと、
ギャスパー・ウリエルの顔!!
あの造形美に、最前列で圧倒されまくりでした。
神の創りたもうた芸術品だと言うことだけは断言できます。
YUKi

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