皆が他者を遮る一方通行の言葉を持ち、傾ける耳を持てず、ここでは「余所者」のカトリーヌだけが、不協和音を和らげるようなはたらきをする(為し得てないけど)。
『理解はできないけれど愛している。この愛はだれにも奪えない』は、彼にとって救いだったのか、十字架だったのか。なんとなく、それが自分の墓前に添えられても、ルイはただ微笑むだけなのではないか、と思った。
余談だが、グザヴィエ・ドランの映画を見ると、映画のメッセージとはなんら関係のない悲しさや虚しさまでもがむくむくと出てきて、ああ痛いなあ…となる。私だけ?