あずき最中

ハーモニーのあずき最中のネタバレレビュー・内容・結末

ハーモニー(2015年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

※原作既読なので、ストーリーの展開自体には驚きはなかった。

watch meという機械によって、個人情報や健康状態が管理され、人々は協調性を持ち生活している、というユートピア的なディストピアを描いた作品。

百合っぽいという意見も多いが、個人的にはさほど性的な要素はなく、女の子たちの秘密を覗き見るような、少女小説のような雰囲気だと思う。
ミァハは、大人だけでなく、男に自分の身体(精神も含める)を管理されたくなかったのかなというのがあるので、女性に接近(啓蒙)しがちな感じはあるけれど。

小説を読んでいたときは、病院のような不気味なほど清潔で真っ白なイメージだったけれど、町並みは意外とピンクが多目で禍々しさがあった。

トァン父による「ハーモニー・プログラム」の研究を兼ねたミァハへの実験(最もハーモニー的な欲求がない人物を抑えこめれば、全人類に適用できるはずだという狙い)により、ミァハの自意識が消失、最も「ハーモニー」(自他の区別がなく、選択による葛藤もない世界)の実現を目指す人間になってしまったーー、というのはかなり急な展開(説明)なので、初見の人はミァハの変貌に混乱するかもしれない。

ミァハは賢く、美しい存在ではあるけれど、ハーモニー信者になり、自らの望みを叶えるためなら人の命を奪うことも辞さない、という風になってしまったときには、二流のカリスマに成り下がったという微かな失望があった(デスノートの月とそう変わらない)。
だから、トァンの「いつかハーモニーが実現されるとしても、私はあの頃のミァハのままでいて欲しい」という最後の行動は納得できるものだったし、選択をした、という事実があの世界では大きな意味を持つのではないか。

結末では、「さよなら、わたし」のプログラムが映り、「ハーモニー・プロジェクト」の実行、自意識の喪失(あるいは統合)が暗に示されているので、後味が悪い人もいるだろうけど、あの不条理さも好きだ。

エヴァと似通うような部分ではあるが、ネットなどで自意識が膨れ上がり、人々が特定のコミュニティでのみ生き、自分から離れた他者と何かを共有することができない時代、たがいに無関心あるいは攻撃し合う時代において、平和(意見を統一したい)願望、幸福論のようなものが生まれるというのは、現実にも起こりうることだろう。

ただ、「わたしの心が、幸福を拒絶した。」というキャッチコピーに象徴されるように、ある意味では自己中心的な言葉、心の動きこそが人間らしさというものなのではないかと、私は思う。誰にでも平等であるということ、聖者たらん、とすることは、人間らしさを捨てなければならないということでもある。

私も、ある程度はわがままに、ときにはだれかのわがままを許して生きたいと改めて思わされる映画だった。
あずき最中

あずき最中