Emmy

ボヴァリー夫人のEmmyのレビュー・感想・評価

ボヴァリー夫人(2014年製作の映画)
3.4
『ボヴァリー夫人とパン屋』という映画が好きで、元ネタの『ボヴァリー夫人』も気になっていた。元ネタを知るなら原作小説を読んだ方がいいのだけれど小説は苦手なのでこちらを鑑賞。

「不倫はいけない、ご主人は良い人」「エマは愚妻、エマだけが悪い」と言う人は、物事の表面しか見ない人だなぁと私は思う。
これは「登場人物全員バカ」が正しい。
エマと彼女の両親も、医師ボヴァリーと彼の両親も、間男たちと彼らの両親も、エマと関わった(エマをエマたらしめた)神父も商人もシスターも、全員バカなのだ。

「不倫はいけない」なんて道徳心なんて無くったって、きちんと自分の心と向き合って自分の本心を大事にする習慣が身についていれば、不倫なんてしない&されない。

エマの夫(医師ボヴァリー)の愚かさもきちんと描かれているのに、それが読み取れていない人がそこそこ居る。これでは不倫はこの世から無くならないだろう。

この物語で不幸になったり面倒に巻き込まれたりした人はみんな、自分の心と向き合うことから逃げた人なのだ。
エマが不倫や散財に走ったのなんて典型的な「逃げ」だ。だから間男たちとの間に真実の愛なんて無い。エマは間男たちに縋っていたけど、あれも愛なんかではない。間男たちがエマを愛していなかったように、エマも彼らを愛してなんていない。自分の心と向き合うことから逃げるための自傷行為でしかない。
いけないこと・切羽詰まったこと・重大なことであればあるほど、自分の心と向き合うことから逃げられる。だから多額の借金なんてものも作り出す。

エマはきっと、不倫もせず借金もせず従順な妻を演じ切っていても自死していたと思う。

この夫が「良い夫」かどうかは、エマが夫への不満をすべて伝えた場合にしか知り得ない。不満を伝えられて「そんなこと言われてもどうにもできない」とか「誰のおかげで飯が食えているんだ」とか言ったら終わり。
結婚は「2人でし続ける」ものだ。結婚式をしたら終わりのものではない。
完璧な人間なんて居ない。だからこそお互いに努力しなければいけない。どちらか一方でも相手のために努力するということを放棄したらもう終わりなのだ。
不満を伝えられても、もちろんすべて相手の思い通りになんてできない。だからお互いが納得できる着地点を一緒に探して、見つかるまで一緒に探し続けないといけない。
求めるだけでもダメ。押し殺すだけでもダメ。
押し殺した結果が不倫、借金、死、なのだ。

間男たちや商人も、本当に自分を大事にして自分の心と向き合っていたら、人妻を口説いて抱いたり無理なお買い物をさせたりなんてしない。
あの人たちもエマを使って自傷行為をしていたのだ。

こんな苦しくて悲しい世界にしないために「教育」が必要で、人は皆大人になったら「本当に正しいこと」を自分の頭で考えられるようにならないといけない。親がバカでそういう教育をしてくれなかったのなら、「うちの親はバカなんだ」と理解して親を捨てて自分でその力を身につけないといけない。
エマもボヴァリーも間男たちも商人も、みんな親にそういう教育をされなかったのだろう。エマと弁護士見習い?の間男はまだ若いから仕方ないけれど、夫や商人はそこそこ良い年齢のようだからそんなこと自分でできるようになっていないといけないのに。

一番の罪人は、大人になっても自分の頭で考えずに、親に刷り込まれた「当たり前」を盲信し続けている人たち。こういう人たちがこの物語の登場人物たちのような人間を生み出す。

お金や世間体のための結婚なんて、売春と何が違うのだろう?と思う。
現代でも「お金のために離婚できない」とか「夫/妻に離婚されないために自分は子どもが欲しくないけど子作りする」とか「親に孫の顔を見せるために子どもが欲しい」とか言っている人たちがいる。その人達と売春婦/売春夫?は何が違うのだろう。
その人達とボヴァリー夫人は何が違うのだろう。

この映画を観て「夫(医師ボヴァリー)は良い人なのに、エマが一方的に悪い」なんて言う人には、「イケメン/美女しか好きになれない」と言う人と同じような印象を私は持ってしまう。
表面しか見ていない。表面しか見えないから表面にしか価値を見出せない。
私はそういう人たちのことを一生理解することができないと思う。
Emmy

Emmy