はむたろう

サウルの息子のはむたろうのネタバレレビュー・内容・結末

サウルの息子(2015年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

素晴らしかった。
スタンダードサイズを観るとまず人を描く映画なんだなと思う。この作品もまさにその通りだった。
ゾンダーコマンドはドイツ軍が虐殺に自ら手をくださないために作った収容所におけるある種の制度。主人公サウルはゾンダーコマンドの一員だが、アウスランダーという名前通り部外者として映画の中でその枠にとらわれず自由に動き回っている。ホロコーストに関係する映画において「状況の力」は前提であり、主人公サウルも始めから例に漏れず思考停止に陥っている。
この映画の特徴は、彼の背後にカメラを置きながら焦点が彼の視線の先ではなく彼自身に当たっていること。周囲にピントが合わない画面は素晴らしいの一言に尽きる。
戦後に生まれた僕たちは戦争を経験したことがないし、収容所の現実を体験したことはもちろんない。しかし、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という浮いてしまった言葉が疑問を投げかけているように、21世紀においていかにホロコーストについて語るべきかということは考えなければならないと思う。ホロコーストにおける複製された物語がありふれてしまったこの時代に、この見せ方はこの時代だからこその表現であると感じる。ありふれた物語のおかげと言ってはなんだが、音だけで観客は想像できるし、その方がリアルでさえある。観客は全編無表情の構成の中でサウルの感情に近づけないからこそ、彼を取り巻く状況からそれを察そうと努力し、そこで混沌とした状況が立ち上がる。しかし、主人公の周りがボヤけていることによってその混沌とした状況を想像力で補う他なく掻き立てられる。時折周囲の状況も鮮明に見えることもあり、想像力の方向性を矯正してくる。
ホロコーストにおける映画でリアリティに欠けると思う時がある。『戦場のピアニスト』における悲惨な廃墟がその鮮明な映像によって生み出される現実離れした見え方によって映画の文脈から離れて観客にとって美しい風景になってしまうように、見え過ぎてしまうことで逆にリアリティを失ってしまうと思うことがあるからだ(特にホロコーストという絶対に映像にしたところで捉えきれない悲惨な現実であればこそ)。映像が現実と乖離してしまうことがないように観客の想像力で画面を補う手法は、映画を作る上での、ホロコーストを扱う上での、監督の試行錯誤の結果であると思った。
また、主人公サウルに感情移入させない展開だったり観客を突き放した雰囲気も意図的だろうと思うが、これも練られていると感じる。「状況の力」と文章では一言で言えてしまうものがどれだけ凄まじいのか理解することは難しい。全体として主観的な画面の中で観客が対象に感情移入できない違和感がホロコーストという理解に苦しむ現実を表現する上で監督の思慮深さを感じる部分だと思った。
最後までこれはどうやって終わる映画なんだろうとずっと気になるし、そこに長回しも効いてきて引き込まれた。全編を通しての無表情がラストの子供との対面でカタルシスを生んで申し分ない結末。ハッピーエンドではないが希望のある終わり方に僕は思った。
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