えいがのおと

この世界の片隅にのえいがのおとのレビュー・感想・評価

この世界の片隅に(2016年製作の映画)
4.4
生活を描いた、戦争映画。単純に泣ける作品ではなく、自分と地続きの世界に彼女らを観る作品。

テアトル新宿に行くと、いつも「悲しくて悲しくて」というフレーズの曲が流れるトレーラーを見せられる。そんな、どちらかというと洗脳への嫌気のような感情をこの作品に抱いていた。
テレビショッピングで、大げさに良い良いと言われると辟易する、そんな感じだ。
いつになったら公開するんだ、と思っていると、主演の声優が、事務所の問題で話題になっていた、のんであると発表される。話題作りまで必死で、これは良い良い詐欺であったのだと、確信を得始める。
とはいえ、食わず嫌いをするのは性に合わない。そう思い、平日の午前なら、ゆったりと観れるだろうと、テアトル新宿に足を運んだ。
すると、午前の一周目の上映なのにも関わらず、チケットカウンターに列ができるほど、人が訪れていた。週末動員も上映劇場数から考えるとかなりよかったし、どうやら、良い良い詐欺に多くの人が騙されているようだと思いながら、残っているわずかな座席を購入する。
結論から言えば、ものすごくよかった。ここまで綴った穿った感情に対し、大いに謝罪したいと感じた。
物語は、すずさんという女性を主人公に、広島を舞台に、彼女の幼少期から、太平洋戦争終戦時までが描かれる。
戦争映画は、御涙頂戴にしか見えない自分は、それは観れば当然、ある種の感動はするのだけれども、積極的に観たいと思ったことはない。本作も、そうした理由で鑑賞を拒んでいる自分もいた。
しかし、本作は、そうしたありがちな戦争映画とは一線を画す。多く語られていることだが、すずさんの周りの、生活をメインに戦争が描かれているのだ。空襲が来た時は、防災訓練通り火の元を消せば、次の日の朝食のご飯は満足でないし、配給が減ると砂糖を買いに闇市へ足を運ぶ。子供のままで嫁いでしまった、すずさんは、そんな過酷な日常を絵に描くように、愉快に過ごしていく。
だからこそ、その日常を彩っていく、人、そして体を失った時、命が助かったことへのよかったが受け入れられない。小さなものを大切に感じている彼女に、大きな問題は受け入れ難く存在する。
しかし、そんな大きな問題を、描いていた絵、いや描く絵を先見しているその目を介在して、彼女なりに受け入れていく。
そうした時、再び自分自身のことに喜びを見出し、世界の片隅で起きる出会いに感謝するのであった。
この物語も人生も何時だって、世界の片隅に起きる発見が私たちに、優しさや幸せをもたらす。
漫画や映画の御都合主義といえば終わりだが、本作は多くの必然的な出会いがある。
すずはリンを発見したからこそ、リンもまたすずを見つけられたように。
私自身も、そんな運命的な出会いをこの作品とできたことを感謝する。
よく、日本は世界地図のどこにあるかという答えは、何通りもあると言われたりする。欧米で発行される地図なら、日本は端にあり、私たちのイメージするど真ん中のものは、なにも一般的ではないという話だ。
戦時中、世界の中心になろうと勘違いした私たちの国。いや、私たちも毎日、自分自身を中心に世界を回して考えている。
そんなエゴを捨て去り、世界の片隅で生きる自分を受け入れ、そんなことにも幸せを感じていきたいと思わされた。

アニメーションのことは詳しくないが、とても素晴らしい映像であったし、何よりも劇伴が美しかった。テアトル新宿は、とても響きがいいので、とても気持ちがよかった。

食わず嫌いをせずに作品に向き合えた、小さな出会いに感謝した。