トメさん

湯を沸かすほどの熱い愛のトメさんのレビュー・感想・評価

湯を沸かすほどの熱い愛(2016年製作の映画)
4.2
お湯沸かすには、火や電気が必要である。つまりエネルギーが必要である。

この映画が教えてくれることは、愛だってエネルギーになるという単純なことである。

タイトルは愛という感情が、お湯を沸かすエネルギーになるという比喩的な表現だと思うかもしれないけど、本当に火になるのである。ラストシーンはもちろんそれを示しているし、おかあちゃんの愛をきっかけに、お湯を沸かすという労働をする人だって現れる。


人は、感情でエネルギーを生み出せる。例えば「憎しみ」。このつらさから抜け出すために、誰かを見返すために、だれかに復讐するために。でも感情から生み出したエネルギーは大半は同じ感情のエネルギーにしか変換されない。エネルギーは保存される。目の前のだれかではないかもしれないけど、「憎しみ」は「憎しみ」としてだれかに保存され、伝搬されていく。

その逆で「愛」は「愛」のままだれかに保存され、伝搬されていく。


今回の映画を見ていて一番の注目してほしいのは、おかあちゃんの「愛」のエネルギーはどこから来たのか?なんで、おかあちゃんはこんなに「愛」を蓄えているのか?途中からそれが気になって気になって仕方がなかった。結論からいうと、この作品のなかでは、その描写はなかった。描写がなかっただけで、本当はあるのかもしれないのだが、個人的には、おかあちゃんには、まったくといってそういう過去はなかったのではないかと思っている。


これを単純に母性という言葉で片付けていいのだろうか。そういうわけではないだろう。この作品では、きっと「愛」はゼロからでもマイナスからでも作ることのエネルギーであるということではないのか。本来、エネルギーは他のエネルギーから作り出されるというのが、物理法則である。でも、人が生み出す感情のエネルギーは無からできる。もしくは、作中ではしゃぶしゃぶだったりカニだったりといろいろな食事シーンが出てくることを考えると、人は、飯を食べることで感情というエネルギーを発する「仕組み」なのかもしれない。


話は変わるが、いままで、人は、いろいろな目に見えなかったり掴めないかったりするものを物理エネルギーに変えてきた。火力による目に見えない「蒸気」だったり、水力による目に見えない「重力」だったり、つかむことのできない「光」だったり。いつか感情だってエネルギーにできるかもしれない。未来は、あなたの「憎しみ」だったり「愛」が家に明かりをもたらす電気になるかもしれない。

そのときにそのエネルギーの由来が「憎しみ」より「愛」であったほうが、嬉しいなと思う。
トメさん

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