Jeffrey

カミーユ・クローデルのJeffreyのレビュー・感想・評価

カミーユ・クローデル(1988年製作の映画)
3.0
「カミーユ・クローデル」

冒頭、1885年パリ、カミーユ20歳。アトリエを借りる。彼女は彫刻に情熱を燃やした。ロダンとの出会い、画商のブロ、弟のポール、妹のルイーズ、愛、妊娠、流産、胸像、大理石、作品、孤独、古典、破壊。今、荒れ狂う感情の嵐を万歳…本作は1988年に、ブリュノ・ニュイッテンが監督、脚本を務め、イザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデューを主演に迎えた映画で、この度国内初4kBD化され久々に再鑑賞したが素晴らしい。本作はフランスの女性彫刻家の生涯を描いた伝記物で、カミーユの弟ポール・クローデの孫レーヌ=マリー・パリスの書籍を原作としているらしい。確か、ベルリン国際映画祭でアジャーニは主演女優賞受賞している。一方、男優賞はA・Pの「ミシシッピー・バーニング」のジーン・ハックマンだったと記憶している。日本では41週間のロングランを記録した大ヒットである。

セザール撮影による20歳のカミーユの写真を見たのだが、イザベル・アジャーニにすごく似ていて、これはアジャーニが演じて非常に良かったと思う。今思えば彼女の弟であるポール・クローデルは93年以来、外交官として世界各地をめぐり、1921年から6年間、在日大使として、日本に駐在していたことを思い出す。日仏会館を設立するなど日仏文化交流に貢献していた。そういえばロダンの妻であるローズと子供を産んでいたのに、正式に結婚したのがローズの死ぬ2週間前と言うのはなんでだったんだろうか気になる。彼女を演じたイザベルが本作の出演を許可したのは、本を読んでいた知人に勧められて彼女の書いた本を読み、自分にぴったりの役だと思ったからだそうだ。私が初めて自分から望んだ役とまで言っていた。今回改めてCDを見て色々と知ったのだが、本作の監督とイザベル・アジャーニって、交際してたみたいだ。アンドレ・テシネ監督の「バロッコ」(76)の撮影の時に出会って、数年間共に暮らしたが、後に別れてしまったようだ。お互いに特別な愛情を抱いていて、再度この作品を通して出会ったそうだ。


さて、物語は1885年パリ、カミーユ20歳。友人ジェシーとともにアトリエを借り、夜も昼もなく彫刻に情熱を燃やしていた。私は彫刻家になるべく生まれたの、と周囲の心配も意に介さない。師のブーシェがローマ賞を受賞してローマへ旅立ち、後任としてオーギュスト・ロダンがアトリエにやってきた。巨匠ロダンは多忙を理由に寸評程度で帰ってしまったが、彼はカミーユの才能を一目で見抜いた。家では、カミーユは母親に目の敵にされていた。彫刻に理解のある父は単身赴任で留守がち。弟達だけが芸術や将来を語り合う相手だった。彼女は自分の作品にロダンの署名をもらう決意をポールに告げた。ロダンから大理石を譲り受けた彼女は、1番難しいしにもかかわらず、見事な男の足を掘り上げ、弟子として採用された。"地獄の門"の製作はほとんど弟子たちの手で行われていた。

希望に燃えていた彼女だったが、ロダンが彼女のアイデアや作品を認めないばかりか、モデルを誘惑する現場を目撃した為に、アトリエを飛び出した。ロダンは彼女に興味を惹かれ、愛弟子として扱うようになり、やがて愛し合うようになった。彼は彼女のために、パリ郊外に、共同のアトリエを設けた。ここでカミーユはロダンと愛し合い、彼の作品のモデルとなり、大作"カレーの市民"を手伝った。自分の作品を作らないカミーユに父は、サロンに出品しろ、ロダンなど必要ないと忠告する。ロダンの愛人ローズとの関係は相変わらず続いた。カミーユが妊娠し、中絶したことにも気づかない。傷つき苛立ちながらも、彼女は愛をこめてロダンの胸像を作り、裏切らないでと書き置いて失踪した。胸像を見つけた彼が、その見事なできを喜んでいるところへ戻った彼女は、ローズか自分かを選んでと迫り、ついに別れを告げた。彼女はポールの家に身を寄せた。ポールは彼女に相談もなく改宗していた。

カミーユは音楽家ドビュッシーと交際を始め、画商ブロとも知り合った。ロダンへの思いを断ち切ろうと気持ちを新たに彫刻に打ち込む。だが、ポールが米国へ立ち、両親も田舎へ引き揚げてしまうと孤独感が募ってくる。再びロダンの胸に飛び込もうとしたが、返って傷つけ合い、別れは決定的となった。作品は思うように売れず、カミーユは経済的に困窮していった。やがて、すべてはロダンの陰謀と思い込み、彼の家の前で暴れ回るなど奇行が目立ち始めた。娘の変わり果てた姿に接した父は、悲しみにくれた。セーヌ川が氾濫、サン=ルイ島のカミーユの家も浸水した。救出に来たブロは、見事な作品3点を発見し、個展の開催を提案する。オープニングの日は大勢の人で賑わった。彼女は、ポールの祝辞の最中に奇妙な風体で現れた。人々は嫌悪し、ポールも目を背けた。以後、カミーユの妄想は日毎に激しくなり、ついに自分の作品を破壊するに至った。1913年3月10日、彼女はヴィル・エヴラール精神病院に収容され、死に至るまで30年間、病院を出る事はなかった…とがっつり説明するとこんな感じで、彫刻家となるべく生まれた美貌の天才、カミーユ・クローデルのあまりに秀でたその才能はついに彼女に不幸をもたらしただけだった事柄を描いた、激しく鮮烈な彼女の生涯の映画である。


いゃ〜、アジャーニが男性支配の社会である彫刻の力仕事に専念し、力強い彫刻を作っている姿は圧倒的である。それにしても男勝りな少女(女性と言うべきか)のあの悲劇と言うのは、ロダンの作業に直接踏みこまなかったらどうなっていたのか、色々と想像してしまう。社会的、文化的コンテクストからすれば、彼女は、創作活動において男と対等な芸術家だったのだろうか、女としてその知的、エロス的な生を生きつつ、両方要求すると言う生活をとっているような感じがする。同年代でこのようなカミーユみたいな女性と言うのは他にいなかったのだろう。なんだろう、色々と洗練されていて、型破りな芸術家ってこういう感じで、後に呪われた詩人とかってよく言われるけど、まさにカミーユ・クローデルってそういった人生よな。最初の室内彫刻家であると分析もされているみたいだが、技法的な完璧主義な彼女の破滅さも伝わる。

それにしてもクローデルが作るワルツ(1905年のブロンズ)と波(ブロンズとオニックス1898年作)は圧倒的である。有名どころは"考える人"なんだろうけど。それにしてもロダンの彫刻の内的質がカミーユとの別れの後に低下の一途をたどってしまって名作を作れなかったと言うのは悲劇である。彫刻には滅法弱くて、そんなに知識はないが、彼女の作った波は葛飾北斎を彷仏とさせる。よく、日本の近代彫刻にとってロダンは父でありロダニズムだ。そしてカミーユこそが日本近代彫刻の母であると言われているが、そういうものなのだろうか?この辺についてはさっぱり知識がないため何とも言えないが、彼女の波瀾万丈な人生が描かれた本作は173分と見ごたえは十分にある。所々睡魔に襲われてしまうが…なんせ長い…。

今思えばトリュフォーの「アデルの恋の物語」もカミーユ・クローデルのような女性だった。極端に恋に身を滅ぼし、美貌の将校との恋を儚く終わらせてしまった映画である。あの時のイザベル・アジャーニも美しかった。ところで日本でカミーユ・クローデルが人気ある一つに19世紀末、芸術の都パリに花開いたクローデルとオーギュストの間に、才能と情熱とが入り混ざった極めてピュアな形で存在していたからなのかと考えてしまう。この作品を見ると、と言うよりかはこの2人を見ると人間よりも愛の方が強く描かれていて、愛の存在がものすごい強い者に位置づけられ、それが故に自分の愛の強さに翻弄されていってしまうと言うような感じがする。この激情が数限りない物語のポイントになっており、亡くなってしまったフランシス・レイの名曲の1つ"愛は私たちより強く"を彷仏とする人は多いのではないだろうか、トランティニャン主演の「男と女」の名作が走馬灯のように蘇る。

アジャーニと言えばどうして、ここまで破滅していくヒロインを演じているのだろうか。先ほども言った「アデルの恋の物語」を始めとし、「殺意の夏」「ポゼッション」そういった数多くある彼女の作品で破滅する女を演じている。シャロン・ストーンと共演したクルーゾー作のリメイク映画「悪魔のような女」でもそうであった。彼女自身あー言うエキセントリックでセンシティブなハートを持つ女性像を演じるのが好きのだろうか、あのような芝居でフランス随一の女優として名を馳せてきたのだからいいと思うが。相手役を演じたジェラール・ドパルデューも非常に良い演技をしていたと思う。そういえばこの作品の音楽が良かったんで調べてみたら、ベアトリクス・ダル主演の「ベティ・ブルー」を手がけたガブリエル・ヤーレッドだった。なるほどなと思った。ついでに言うと撮影監督をしたのはピエール・ロムで同性愛映画の傑作の1つ「モーリス」を撮影しただけあって、本作にも素晴らしい仕事をしていた。とりわけ音楽は圧巻である。まさに芸術と愛の季節を描いた1本だ。
Jeffrey

Jeffrey