ヨウ

ハッピーアワーのヨウのレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
4.9
噂には聞いていた超長尺映画。この度早稲田松竹にて劇場鑑賞を果たすことができて心から嬉しく思う。第一部、第二部、第三部と分かれており、間にインターミッションを挟むのだが、その時間すらもどかしく感じるほどの多幸感。つまらなくなる瞬間がマジで一回もない。なんなんだこれ。本当に俺は5時間そこに身を置いていたのか。全てが秒で過ぎていく。あっという間とはまさにこのことをいう。世の中には1時間ちょっと観ただけでどっと疲れる映画もあれば5時間を超えてもまだ観ていたいと思える映画もある。これほどまでに心地良い余韻が続く映画を僕は他に知らない。閉幕後は名残惜しさに涙が催されるほどであった。ずっとこの時間が続いてほしい。叶わぬ願いに項垂れながら極上の後味を噛み締め劇場を後にした。

カメラが捉えるのは何処にでも転がってそうな人間模様。側から見れば無味乾燥、それでいて強制的にその空間へ埋没させられる。瑣末な故障から変容する関係と迷走する自己。優しさと表裏をなす棘。想像もしなかった逡巡と新たなる幸せへの収束。4人の女性たちの行く末を描くためには5時間ですら短かった。

ピクニック、セミナー、懇親会、裁判、有馬温泉、麻雀、バス、フェリー、カフェ、朗読会、長い長い夜。。取るに足らないような出来事へ永遠と焦点が当てられるのだが微塵も飽きを感じさせない。むしろ一から十まで全編が面白い。わざわざ映画にする必要性があるのか疑問に思わざるを得ないカットの数々。でも知らぬ知らぬの間に途轍もなく大きな変化が起きている。これには天晴れよ。

まるで自分が劇中人物の親友でありその場に身を置いていて親身になって話を聴いているかのような心地だ。これはよく言う主人公への同化現象とはまた違ったものだと思う。私自身がもう一人の主人公みたいな感じかな。何とも名状し難い観客の立ち位置。明らかにそこと「一体化」している。だから全てが他人事じゃない。だから彼女たちから目が離せない。自分にとってかけがえのない存在となってしまっているのだから。

作中一貫して放たれる会話の素晴らしさ。そこには温もりであったりユーモアであったり緊迫であったり哀愁であったり、情感豊かな人間味が溢れかえっている。唐突に曝け出される衝撃の告白。そこから数珠繋がりとなる懊悩と崩壊。和気藹々な雰囲気で淡々と進んでいたはずなのに気付いた頃には恐ろしいほど状況が変化していて絶対的にハッとさせられる。それは一人一人の発する一語一語が一つ一つの遺伝子に至るまで浸透していたという証左であろうか。これじゃあ他の映画にあるどんな会話劇も敵いっこないね。

普通ならカメラを向けないようなありふれた日常。アマチュア役者たちが演じる”不自然さ”はいつしか”自然さ”へと昇華される。安穏だけでなく不協和音もしっかり共存。それが人間の辿る道。思いがけない刺激の循環を通して各々は各々の”ハッピーアワー”へと向かいゆく。そして僕たちの”それ”も形を変えながら続いていくのだ。悲喜混じる人生の賛歌に底知れぬ感動が迸る。

書きたいことが無限に出てきそうだがここら辺にしておこう。嗚呼、本当にずっと夢見心地だったな。このフワフワした余韻は未だに尾を引いており永久に消え去ることがない。5時間以上そこに身を委ねていたという事実が不思議で堪らん。凄まじい映画体験をしてしまったものよ。これは間違いなく日本映画の最高峰。圧倒的オールタイムベストとなったことは紛いもない事実である。濱口竜介という今世紀を代表する偉人へ乾杯。何よりもハッピーな時間をありがとう。
ヨウ

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