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ダークタワーのkonoesakutaのレビュー・感想・評価

ダークタワー(2017年製作の映画)
1.5
長文。

とにかく空気感がない。空気感。背景。世界観。雰囲気。ムード。佇まい。趣。オーラ。情調。匂い。

キング映画にはほとんどの作品に共有したりリンクする何かがある。町、デニーワイズペニーワイズ、ザ・ショップ、超能力、並行世界、ヒエラルキーの低い人間が寄り添い強いものに対する意識。キング特有の「閉鎖された中の異質」や「ほとんどの作品に共有される世界観の説明」とか「思春期から大人へという時期に現れるヒエラルキーやその下層にいる人間の支え合い」とかを期待し過ぎてから感じるのだろう。
本作にも微かながらその要素があるが、あるというだけでキングの世界をにゅうにゅうと形作るキーになっていない。

本作は多分アクションとして製作したのだろうけど、裏にはホラーなんかが醸し出す緊張感もほしかった。ただのジェイクの冒険譚になっていて、ネバーエンディングストーリーのように見える。怪物も出てくるので、もし村の人々がホビットとかだったら間違いなくロードオブザリングやハリーポッターになっている。原作もキング自身が「ロードオブザリングに影響された」と言っているのだから仕方がないか。

キングの原作を映画化されるのには配慮や縛りが必要だ。キング世界を共有するという配慮と縛りが薄かった。黙っていてもキング世界を共有できると思ってしまったのか、工夫が足りない。結果、鑑賞意欲の低下につながった。映画をバラバラに観ても特に問題ないのだ。場面をすこし見逃しても別にいいやとなる。原作を知らないで、本作だけで世界観を知ろうとする人には説明不足で一所懸命に観てもよくわからない。ダークタワー本体は不気味で素敵な趣を持ったデザインなのに説明はほぼ言葉でだけ。ジェイクを誘拐しようとしている人たちの顔の傷もなぜ顔を隠しているのかがよく伝わらない。キングクリムゾンなんてただのいたずら書きになってしまっている。アクションシーンだけキャッキャいうようなその辺にあるお手軽ムービーになってしまった。悪い言い方だけどスケールを小さくしたローランドエメリッヒ監督作品のよう。荒唐無稽さで勝負するアクションエンターテイメント作品に成り下がっている。導入は良かったのに、犠牲にしたものは多い。

平坦な道をあえて作って起伏を出すエスカレーションとか、起伏ばかりの道にあえて平坦な道を作って伏線にするとか、そういう余裕が感じられない。とにかくキング先生の書いたものを同じ熱量で出来るだけ散りばめなきゃという落ち着かない感じ。本作だけで回収できる伏線はほとんどない。次作以降で回収・掘り下げをお願いする気まんまん。この世の根源を守るガンスリンガーさんのカリスマ性まで薄れ、バンバン銃をぶっ放すおじさんにしか見えなかった。

初見の方は原作がいかに偉大な作品であるかわかりようがない。

やはりこの本作には空洞がある。それはキングの空気感だ。

原作を知っているから空気感世界観がわかるのであって(原作を知っていれば本作がいかに苦労しながら映像化しているかわかる)、原作を知らない人には何も伝わらない。映画館で頭がハテナ?になるだろう。なんとかアクションとエンターテイメント性でしのぎとりあえずのストーリーは描いたから、キング作品群と原作を読んでくれと。今までのキング映画をおさえてくれと。それでやっと伝わるからと。「中間世界」ぐらいは予習しておいてくれと。作り手からの切な願いが聞こえてくるようだ。「ただのガンアクション映画としてもかっこいいだろう」なんて言い訳も出てきそうだ。

キングの集大成的な大作のあまり、焦点を絞りきれなかったのだろう。何部作とかで映像化を計画したのか。本作だけでダークタワーを完成させようと思ったのか。本作の興行収入で続編製作を判断しようとしたのか。どれかはわからないけど。
ダークタワー世界を1つに収束させるにはダークタワーⅫぐらいまで作らなきゃいけないのではないのだろうか。スターウォーズに負けないぐらい。

だが切り取り方は良かった。大作の中のどの部分を脚本化するのかということには塾考を重ねたのだろう。親に、そしてガンスリンガーにも1度見捨てられたジェイクのくだりを本作にピックアップしたのは大英断だと思う。

他に良かった点を三点紹介したい。
弾丸の装填の魅せ方が素晴らしい。少年がどんどん闘う男の顔になってラストでは躍動するのが頼もしい。効果音でバンって驚かす姑息な手段がないのは潔い。
これでかなり得点を稼いでいる。

今後続編が作られ描かれていないものが補完されていくのであれば点数は次第に高くなっていくだろう。