YukiSano

アイリッシュマンのYukiSanoのレビュー・感想・評価

アイリッシュマン(2019年製作の映画)
4.4
スコセッシの遺言状。
ギャング達のエンディングノートには、何が描かれていたのか。

前半は正にスコセッシ節爆発の集大成。グッドフェローズの再来から自分たちのキャリアを自己批評的に再現してみせる。

中盤からアル・パチーノが加わり、スコッセッシ組に新風が吹き荒れる。何とゴッドファーザーの味が混ざり始め、ヒートなど別次元の名作まで思い起こされ、ギャング映画史そのものの総括が始まる。デ・ニーロとパチーノが並ぶ画には何とも言い得ない感慨があり、70年代以降の犯罪映画史そのものの重みと深みがのしかかる。

スコッセッシはスピルバーグとルーカス以降のポップカルチャーとは全く別の古くから続くリアリズム映画史を伝統的に受け継いできたことを知らしめる。そして同時にそれはスターウォーズなどで培ったCG技術によって可能にした若返りで実現したことも映画史にとって重要な通過点だ。極めつけは、これがNetflix作品であるという皮肉。キュアロンの「ROMA」と同じく真の作家性を示す作品は劇場以外のコンテンツを主とした場所から現れるという現実。

ヒューゴで最新テクノロジーや新しい概念を高らかに受け入れてみせたスコッセッシの映画史総括は、後半に遂に20世紀的ギャングスター達の末路を丹念に描くことで真意を見る。

何故、三時間必要だったのか。それはこの後半戦を描くためだったのだと胸に突き刺さってくる。1人取り残されたデ・ニーロが神父の語られる神の言葉に救いを求める姿には「沈黙」で魂を売るかどうかの葛藤をもった者達とは真逆の魂を失った者の悲しみしかない。

ゴッドファーザーpart3ではしょられた部分を丁寧に丁寧に描いてくれたかのようなラスト。開いた扉が雄弁にメタフィジカル的に語りかけてくる全ての者への問いかけが言葉にできない郷愁をえぐり出してくる。

そして、スコッセッシがいつも描ききれてなかったとも言える女性たち。もはや描くのではなく、沈黙に付しながら見つめることで語りかけてくるという神業のような演出には恐れいった。確かに描けないのなら、あぁするべきかもしれない。巨匠恐るべし。

ここ最近、70年代以降の映画史を総括するかのような映画ばかり見ている気がする。それは自分の青春とも重なるので余計に苦くて哀しい。1つの時代が幕を閉じ、新たなる時代が始まるのを感じる。我々が親しんだアナログ時代は様々な罪さえ飲み込んで消えていく。

扉は開いている。ただ誰も閉めてくれないだけかもしれないけれど、それが開いている意味は昔、確かにあったのだ。

やがて忘れられる者達が開けていた扉…
YukiSano

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