ソクラテス曰く、「汝 自らを知れ。」
またトルストイ曰く、「孤独なとき、人間はまことの自分自身を知る」
スーザンのそれはまさに格言の如し。
これは美しくて哀しくて。
それでいて畏れと怒りに満ちて。
トムフォードはこの原作を本当に咀嚼して自らの創造性でもって…映画という"言語"で見る手をおおいに刺激する素晴らしい作品である。
とにかくこの作品を色んな人に見て欲しいのでストーリーは言及したくないのであえてストーリーは説明として省くけれど
成功を手にしていながら満たされない日々に鬱屈するスーザンという人間はトムフォードの表裏を体現してるかの様だった。
トムフォードはそんな自身の内なる痛みを見事に映像に込めスーザンという媒体を通して見事に昇華している。
そして言うならばスーザン演じるエイミーアダムスはよくその部分を抽出し他のどの俳優より強烈で印象的な演技をしていたと思う。(個人的な意見だけど)
映画も"引きの美学"ではないがあえて言わない・描かないを貫いているところが…観客興奮の坩堝へと誘っているんだと思う。
かの淀川長治はジェームズ・キャメロン監督のタイタニックを良しとしなかったそうな。
簡潔にまとめるとそれは表現性と創造性の欠落にあるからだと。
確かにCGで表現出来なかった部分は視覚化出来たかもしれない。しかし見る者の想像力は失われた、昔の作品にあった見せない(見えない又は見れない)からこそ、観客は頭を働かせ想像し歓喜し涙し、恐怖するのに…このタイタニックは全部曝け出している、と。
それを踏まえてこの作品を見てみると、観客は現在・過去・フィクションがクロスオーバーし展開されていくごとに描かれていないシーンに想像し行間を読みとろうとする。
その行為は前述の淀川長治かく語りきではないが
ヒリヒリするような緊張感やなんとも言えない殺伐としたあの雰囲気は映画の中に見受けられる演出と演技以上に観客自身が作り上げたものと言っても過言ではないだろう。
既にこの作品をとやかく言ってしまっており蛇足の域だが見て感じて欲しい。
とにかく全てにおいて美しいのだ。
映像のカットはまるで写真集をめくるかのようにワンカット・ワンカットがひとつの作品の様で。
作品といえば劇中に出てくる衣装は「映画は服を売るための宣伝ではない」という理念からクリエイトされたものでこれぞ服の芸術性が爆発している。(特にスーザンの着る服は筆舌に尽くしがたいもの)
その芸術性といえば同じく劇中の芸術品も凄い。
トムフォードはオリジナリティにこだわり、オープニングの現代アートは彼の創作だし!
映画を彩る作品も全て本物(何点かは監督のコレクションだそう!)
彩るという意味においては忘れてならないのが、劇中の音楽で前作同様アベル・コジェニオウスキが担当で、トムフォードの前作「シングルマン」の時の音楽は壮絶に耽美で退廃的で破滅的なのに最高に美しい音楽だったが今作もその作風は踏襲し弦楽(特にチェロが曲中奏でるアルコは最高)
まぁとにかく彼というセンスのシャワーだ。
トムフォードという映画監督は寡作なのかもしれないが懲りずにその美をもっと感じたい。
その美を感じれるのならいつまでも待つし、この作品みたいにトムフォードにこれくらい振り回されるのは…ある意味幸せ♡
長文駄文を失礼しました笑
どうやら僕はトムフォードに首っ丈みたいだ。