あでゆ

20センチュリー・ウーマンのあでゆのレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
3.3
1979年のカリフォルニア州サンタバーバラ、自由奔放なシングルマザーのドロシアは、15歳の息子ジェイミーの教育に頭を悩ませていた。そこで、ルームシェアしているパンクな写真家のアビーと、近所に暮らすジェイミーの幼なじみジュリーに相談する。

20世紀に取り残され、成長することを諦めた母と、21世紀に羽ばたこうともがく息子の物語。21世紀の視点からの回想のような珍しい語り口で描かれるのが特徴。母のドロシアなんか自分でこれから死ぬことをモノローグで語ってみせるし。

基本的にエル・ファニングがかわいければなんでもよく、ちょうど『パーティーで女の子に話しかけるには』と同時期なので最高に可愛い時期の作品。
劇中の時代もちょうど同作とかぶっていて、パンクが多く用いられる。初学者向けにトーキング・ヘッズなどの立ち位置を説明する描写も入り、いわゆるゲイ向け音楽を経て女性というものを理解し、学んでいくジェイミーの姿を映し出す。

この時代は女性はちんこを挿れさえすれば女は喜ぶと言われていた時代の転換期で、そういった古い女性像を背負い続けてきた母と、抗い続ける二人の女性の間でジェイミーが何を感じるかというところに本作の意義があるように思う。
結局本当の意味でジェイミーは女性というものを理解することはできない。それは三人の女性が結局彼の人生の中でひとときのすれ違いとしてでしか関わることができなかったことから想像ができるが、それでも彼の成長には必要な刺激だったのだろうと思う。

母の「私は外の世界でのジェイミーを知ることができないから、うらやましい」というセリフが非常に突き刺さる。母でさえも息子とはすれ違うことしかできないというわけだ、この20世紀と21世紀の狭間で。
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