虫

ダウンサイズの虫のレビュー・感想・評価

ダウンサイズ(2017年製作の映画)
2.5
この発想の強さを上回る脚本のダメさ加減。発想だけでなく、ポールというキャラクターの存在自体、またそこから見えてくるメッセージ*も、共にかなり変化球になっていて、その点の面白さもあったはずだった。だが、変わり種の主役を持て余した結果としての起伏のまるでない話の運び、そしてキーキャラクターのトランが出てくるまでに半分以上が経過してるという絶望的な時間配分など、エンターテインメントとして壊滅的な出来になってしまっている。また、ミニチュア世界でもふつうに格差はあるという安易な設定についても、やや辟易するところがあった。

※簡単にいえば「本来的に取り残される側の人間であるならば、取り残される側だからこそ見えるものもあるわけだし、別に無理しないでいいんじゃない?」ということになるだろうか。「自分らしさの回復」とでもいえば、よくある感じになるが、その過程があまりに消極的で驚く。
そもそもダウンサイズは人口の3%だけしかしておらず、また元妻が途中で脱落したことからもわかるように、かなり「進んだ」処置であり、心理的抵抗も大きいものであるといえる。とはいいながら、ポールは進んだ人間というより、単なるクソミーハー人間であることは間違いない。有名人というだけでネコも杓子もお構いなく感動するという気質に現れており、また「偶然」が重なってシェルター入居に居合わせたことを「運命」と思えるほどに、特別への憧れがある。かように深い考えなどない彼は、本来であればダウンサイズなんかしない側の人間のはずであり、また彼が愛することになる女性のほうは、どちらとも「進んだ」ことはしないのだーー元妻はミニチュア世界に行かなかったし、また新しい妻もまたシェルター世界になんか行かなかった。以上の点を考えれば、デュシャンが言うところのシェルター入居における「挫折」が、逆説的に彼のアイデンティティの回復(獲得)となっていることがわかるだろう。
ミーハー根性でずるずると「進んだ」方へと惹かれる彼が、一度目はえいやっと一歩踏み出すことで妻と別れてしまい、二度目は思いとどまって新妻と別れずに済んだ。この違いはどこにあるかというと、これはミニチュア世界が理念(環境等への配慮)だけでなく実益も兼ねたものであったのに対し、シェルター世界がほぼ理念のみという点もあるだろうが、それよりも大事なのは、やはり妻の違いだ。彼はやはり引っ張られるタイプであり、引っ張ると身の丈に合わないことをしていることになり、結果として離婚になるが、トランに引っ張られて診療すれば、人のためになる人間になれるのだ。ここでも、消極的なかたちで「自分らしさ」が打ち出されていることが見える。
ちょっとわかりかねているのが、「取り残されると周りが身近に見えてくる」というラストあたりのセリフについてだ。トランは「取り残された人」と一括りにしているが、トランは死に損なって取り残されたのに対して、ポールは生き延び損なって取り残されたことになる。トランはどういうつもりで、このセリフを言ったのだろうか。
虫