えふい

ガールズ&パンツァー 劇場版のえふいのレビュー・感想・評価

5.0
「ガルパンはいいぞ」──その言葉に潜む無邪気な饒舌。

日々、稚拙ながらレビューというものに興じていると、作品を解体・解釈することが目的化し、「脚本」「テーマ」「撮影技法」「演技」等々の要素に言及する硬直的で構造主義的な語り口に陥ってしまいかねない。表現としての軽やかさを失したその種の文章は読み手に退屈をおぼえさせ、書き手をして自分は高尚な視線で作品をみているのだという錯覚を惹起させる。
しかしながら創作物において、脚本が秀逸なわけでもなく、重厚なメッセージや斬新なアイデアにあふれているわけでもない──そんな、いち作品として優れているとはいいがたい、しかしどうしようもなく好きになってしまった一本というものが、諸君にもあるのではないだろうか。そうした、己の血肉に等しい作品を論ずるにおいて、ことさら専門的な知識を披歴することも、評論家じみた雄弁さでもって評価できないことを悔やみもせず、ただただ言葉少なに「ガルパンはいいぞ」とこぼしてしまうことを、誰が批難できようか。
むろん『ガールズ&パンツァー』が商業的な成果をおさめ、アニメ業界で稀有な地位を確立したことは、いまや誰もが認めるところだろう。例えば私が映画館に、自宅にはない特権性──巨大スクリーンや音響設備──を見出すきっかけになったのが、まさにこの映画だ。また2021年現在、封切りから6年経ってDolbyAtmosという最上級の設備で再上映されたことや、「聖地」に移住するほどファンの登場といった現象が起きたタイトルも、そう数あるまい。
しかしこうした、社会への貢献でもってことさらに存在価値を宣伝するまでもなく、エキシビションマッチに心躍らせ、オールスター集結に胸高鳴らせ、カール自走臼砲や観覧車の轟音を四肢で感じ取り、「最後の5分」にじっと魅入った後のエンドロールで万感の想いに浸る……この体験は他の何にもかえがたい唯一無二のものなのだ。例えるならそう、なにが起こるか熟知していながらも搭乗したくなるアトラクションのような。
だから本作は、「戦車」から血なまぐささを排除するためのご都合主義も、紛失届や転向届が持つ謎の万能さも、公的な人物のあまりに私的な悪役ぶりも、さびれた遊園地をスポンサードしてしまう親バカっぷりも、拭いきれない中盤のなかだるみも乗り越えて、オールタイム・ベストであり続ける──「戦車は火砕流のなかだって進むんです」
ガルパンとは、芸術としての映画とその技術的な側面ばかりに染まりつつある私に、エンタメから文学まで網羅する表現手法としての映画を思い出させてくれるスタビライザーなのだ。だから、レビュアーとしてのこれまでとこれからをかなぐり捨てて、臆面もなくいわせてもらおう。「ガルパンはいいぞ」、と。
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