このレビューはネタバレを含みます
深夜にやっていたので録画して視聴。
元よりメリル・ストリープとヒュー・グラントの好感度が高かったため、もっとはやく観てもいい作品だった。
結論からいうと、よかった。
とてもおもしろかった。
ただ諸手を挙げて「おもしろかった〜!」「いい話だった〜!」とすっきり言えるかというと複雑なところ。自分がこの作品に副題をつけるなら思わず容疑者Hの献身とつけてしまうかもしれない。
それぐらいヒュー・グラント演じるシンクレアの功罪を考えてしまう作品だった。
薬害により音感を失った元声楽家のマダム・フローレンス、彼女の調子外れの歌に彼女だけは気づいていない。なぜなら夫であるシンクレアが気づかないようにありとあらゆる手を打っているのだ。そしてついにはNYのシンボル的な大ホール、カーネギーホールでのコンサートを彼女は画策してしまう。
ストーリーのなかでシンクレアに対し、なぜ彼女に事実を言わないのか、彼女をおだてあげ恥をかかせていると批判する人間も当然出現した。
それは事実に違いないと思う。
シンクレアがひとこと、薬のせいで昔とは調子が違うようだね、と言ってあげればよかったのだ。
しかし彼はそんなことは一切せず、過保護な愛で彼女に夢を見させ続ける。それが正しいことなのか?偽善か?ひとりよがりか?愛なのか?
シンクレアがしたことが正しいのかどうか、これを考えるのが止められない。これがこの映画を見終えてもすっきりしない一因に違いないと思う。いまだにはっきりした結論が自分のなかでもでていない。
ただここでこの映画の邦題を思い出したい。
『マダム・フローレンス!夢見るふたり』である。
夢を見ていたのはふたり、なのだ。夢を見ていたマダムとそれに愛ゆえ振り回されるシンクレア、ではない。彼にとっても、マダムがいきいきと病に犯されながらも、歌い、スポットライトと喝采を浴び、それに心から満たされる彼女の姿は夢だったのだ。
そう考えると合点がいく気もする。
彼女のためには事実を言うべきだったとか、いや彼女はこれで幸せだったとかいう話ではもはやない。彼がしたかったから、自分の夢のためにそうした。
残していくほうも残されていくほうも同様に辛く、マダムを最終的に喪ったシンクレアの嘆きはどれほどだっただろうと想像もつかない。ただマダムはマダムの夢を、シンクレアはシンクレアの夢を叶えたことには違いなく、その光景は死に際のマダムを、晩年のシンクレアを大きく勇気づけたのではないかと思う。
また、シンクレアの無謀ともとれる彼女への献身に巻き込まれたピアニストのコズメ、素晴らしかった!ただエンドロールで後にボディビルダーになったと知らされたときは笑ってしまった。どうか幸せに生きてください。