アメリカ共産党員であり、ハリウッドの脚本家として成功を収めていたダルトン・トランボは、第二次世界大戦後に赤狩りの対象となって、アメリカ映画界から追放される。
「彼らはハリウッドにおける共産主義の脅威です。民主主義をむしばみ国家転覆をねらっている。」
1950年、トランボは議会での証言を拒んだことによって、議会侮辱罪で有罪となり投獄されてしまう。
「"王女と無骨者"?人形芝居みたいだ。」
「この方がいいと?ローマの休日?」
1951年、最愛の家族のもとに戻ったトランボには仕事がなかった。しかし友人にこっそり脚本を託した『ローマの休日』に続き、偽名で書いた別の作品でもアカデミー賞に輝いたトランボは、再起への道を歩み出す。
「不可能だと思われてることをする。」
トランボは脚本家として復帰するべく、映画製作会社の大物たちに立ち向かっていった。
「これは議論じゃない、ケンカよ…虐げる父親は必要ないわ。」
やがてトランボの戦いは、最愛の家族も、ハリウッドで活躍する俳優や監督も巻き込み始める。
「トランボを解雇しないと、不買運動が起こる。」
1970年3月ロサンゼルスでの米脚本家組合ローレル賞受賞式でのトランボの演説がよかった。そしてなにより、この映画は家族愛の物語であり、主人公トランボはもちろんのこと、陰で支える妻と子供たちがよかった。
「私が映画界の人々の前に立つ時、できれば触れたくないことがあります…私です。」
エンドロールでのトランボ本人によるインタビュー映像の言葉に感動しました。
久しぶりに「ローマの休日」を観よう。